横浜弁護士会新聞

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20005年7月号(4)

 
私のホビー(40)
「ボンジュール メルシー シルブプレ」
栗田 誠之 会員
 横浜弁護士会屈指の芸術家集団であるキャンバスアバウトは、1年半に亘る月3万円の積み立てを経て、晴れて4月20日から28日まで、花の都巴里へのスケッチ旅行を敢行した。
 山本一行団長の下、参加芸術家は鬼のスケッチ魔岡村共栄、水彩画の伝道師稲生義隆、自動販売機を描かせたら右に出る者がいない中村俊規、そして仏画の栗田誠之の外、外部の調停委員野口昭子氏の参加を得て、一路、大韓航空機ビジネスクラスにて、プルコギとビビンバと飲み放題のアルコールとでセンスを研ぎ澄ませつつ巴里に降り立った。一行が常宿としたのはルーブル・オルセイ美術館とセーヌ河を挟んで対岸にある古いホテルで、オペラ座、ノートルダム寺院、シャンゼリゼ通り、凱旋門も30分もあれば歩いて行ける、巴里の中心地にあって、まさに、セーヌに戯れる我々一行にふさわしいものであった。
 翌日からは、銘々、ボンジュール、メルシー、シルブプレの片言のみを引っさげて、ある者は地下鉄に乗り、ある者はバスで、はたまた徒歩で、弁護士の名に恥じず勝手気ままに歩き回り、夕食のみ一緒にとるという芸術三昧の毎日であった。
 欧州巴里は200年前からの建物が林立する石の町であり、どのカットをとっても絵の素材としては申し分ないものの、人種のるつぼとでも言うほどの多彩な人々が暮らしており、仏蘭西なる国がいかに広大な植民地や財力をもっていたかを実感させられた。ただ、夢に描いていたパリジェンヌなるものになかなかめぐり会えなかったのも実感である。但し、凛々しい制服姿の婦人警官のかっこよさは格別であった。
 日程の内1日はノルマンディーまで300キロ余り、仏蘭西の広大な農地を走る最高速度130キロメートルの高速道路をとばしてモンサンミッシェルなる海に浮かぶ教会兼牢獄の一泊旅行に出た。その帰り、変わりやすいノルマンディーの夕立の中、ひなびた漁村で生牡蠣料理を堪能し、地元の雑貨屋で買った葉巻をくゆらせつつ即席の海の男の気分にひたったりした。
 スケッチについては岡村、稲生両会員の創作意欲は人並みはずれたものがあり、セーヌの風景、ノートルダム寺院、ロダンの彫刻、郊外の牧場、モンマルトルの丘と次から次へと、作品を仕上げ、後ろから覗く仏蘭西人もセビアン、トレビアンと賞賛の言葉を送っていた。また、山本団長がルーブルのカフェに毎日通って描いた透明感のあるスケッチは、逸品であった。なお、個々のエピソードについては、中村会員によるつづきにご期待あれ。

マリナーズ 雨ニモ負ケズ 打線湿ラズ
 6月3日、4日の両日に渡り、宮城県蔵王の中腹にあるグランドにおいて、横浜マリナーズと仙台弁護士会野球部との毎年恒例の対抗戦が行われた。わがメンメンは、早朝東京発の新幹線に乗り込み、白石蔵王駅にて温麺(ウーメン)で腹ごしらえをし、総勢約20人のメンズ+1で、敵地に乗り込んだ。
 そして第一試合。わが打線は久々に繋がり、初回3点を先制。その後も、俊足野木や怪我から見事に復活した阿部の長打などで着実に加点、投げては前日に高熱を出したエース畑中が薬をのみながら仙台打線を抑え、上山、関本、喜多らのバックも要所で堅い守りを見せ、10対1で快勝した。
 ところが第二試合は、第一試合途中からの雨に突然の雷が重なり、残念ながら中止。既に準備万端、鼻息も荒かったベテランの西村、遠矢、田中(学)らには、無念の雨となった。
 翌日は天気がもち直し、試合を決行。前日に引き続きマリナーズ打線は活発で、鈴木ノリシの3安打などで得点を重ね、また初先発の堀口が初回のピンチをゲッツーで切り抜けるとその後はテンポよく投げ切り、結局、11対4で連勝した。
 今回の仙台遠征、湿りがちだった打線が復活し、投手堀口ら新たな可能性の発掘もあり、秋の全国大会に向けて実りある遠征となったこと、間違いない!福岡、札幌、伊香保と、わがチームの遠征はまだまだ続く。
(会員 上山智之)


訃 報
お悔やみ申し上げます
小原 卓 会員
平成17年5月26日逝去 享年70歳
杉原 尚五 会員
平成17年6月13日逝去 享年84歳

編集後記
 蒸し暑い日が続くようになりました。汗っかきの私には、クール・ビズはとても魅力的。でも、現実にはスーツ、ネクタイ、革靴。一歩踏み出す勇気があれば…。
デスク 渡辺  穣 1面担当 須藤 由里 2面担当 早川 和孝
3面担当 畑中 隆爾 4面担当 長谷川範子
      本多 麻紀

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