横浜弁護士会新聞

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2001年5月号(2)

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民事裁判手続運用委員会副委員長  遠矢 登
 三月一日午後五時半から横浜弁護士会館で、第三回民事裁判懇談会(民裁懇)が開かれた。昨年六月二日と一〇月一九日に第一回と第二回が行われた続きということになる。この民裁懇、従来は弁護士側から固定メンバー約一〇名と部長クラスの裁判官約一〇名とで、数カ月に一度民事裁判手続のあれこれを肴に協議していたが、新民事訴訟法の施行を契機に、新法の目的である裁判の迅速化を具体化するべく、より多くの弁護士や裁判官・書記官を交えて、さらに実際的な立場で問題点を協議し合う場となった。
 今回は、裁判官一九名、書記官一〇名そして弁護士四四名が参加し、訴訟手続のうち証拠調べ、鑑定などにつき二時間余り熱心に質疑応答や意見陳述がなされた。
 はじめに篠崎百合子会員、川添利賢裁判官、内野洋書記官の順でレポートの説明があり、そこで出された論点につき質問や意見を求めるというスタイルで進められた。
 特に論議の多い集中証拠調べの点では、陳述書の利用などで尋問時間が従来より短縮されて思い通りの十分な尋問ができない上、一度に多数の尋問をするのは負担だとする弁護士の意見や、事実認定と心証形成が前よりずっとやり易くなったとする裁判官の意見などがあった。
 また鑑定の点では、鑑定人が法廷での尋問に嫌気がさし二度と応じてくれない例や鑑定人の人選に困っている状況が報告された。今回の民裁懇の具体的内容は、まとめて後日会員に報告する。
 次回の日程は未定だが、六月頃に、今回積残しになった和解手続と判決などについて行われる予定である。どうすれば裁判に勝てるかというテクニックも身につくかなと思わせるこの民裁懇、今後も奮ってご参加いただきたい。

弁護士の「独立」とは
 昭和五五年四月一日、小田急線本厚木駅前の米新(こめしん)ビル六階に、以前から父が用意してくれていた空室があり、そこに中野新法律事務所を開設した。これが「私の独立した頃」と言えば言えるのではないであろうか。
 というのは、私は昭和四七年四月に東京弁護士会で弁護士登録し、爾後八年間新宿にあった東京共同法律事務所に所属し、主として民間中小企業の労働事件を担当してきた、いわゆる労弁であり、この事務所では給料というものがなく、歩合による弁護士収入が全てであったから、「独立した頃」というのが、経済的独立を意味するのならば、私は弁護士一年生から独立していたとも言い得るからである。
 厚木で私一人の事務所を構えるに至ったのは、多人数の事務所というのは、一人ではなかなか困難な事件を、複数で担当することができるというメリットもある代わりに、毎週定例の事務所会議を開いて、長時間の討議を経た上でなければ重要な事項は決定できない、弁護士が多くなればなる程、様々な意見が飛び交い、なかなか物事が決定できないなどのデメリットもあり、八年間も事務所運営に参加していささか疲れを覚えてしまったからである。
 幸いにして私は厚木が先祖伝来の郷里であり、先輩友人の数はかなりのものがあり、東京時代にも私個人に依頼をしてくれる事件もある程度あったこと、また一応事務所の賃料は父に支払うことにしたが、それも正常賃料に比べればかなり低廉であったことなど恵まれた条件があり、厚木で一人で開業することには大きな不安はなかった。
 しかし全く不安がなかった訳ではなく、事務員の給料の遅配や欠配などを絶対に起こしてはならず、また子供が四人も生まれており、生活費は一般の家庭よりかなりかかることなどがプレッシャーになって、四月初旬の暇な時(周知のように裁判所の事件は人事異動のこの時期、期日が入らず弁護士は事務所に居ることが多い)、一日事務所に居ても東京時代の依頼者からの連絡はあっても、新件の相談や依頼が全くない日が何日かあると、果たして自分はこのままやっていけるのだろうかと自問自答することもあった。
 ところがこのような状態は一カ月も続かず、昭和五一年の提訴時から神奈川総合法律事務所の同期友人柿内君、鵜飼君らと取り組んでいた厚木基地第一次爆音訴訟が忙しくなったり、父の元勤務先の会社からかなり忙しい法律顧問を引き受けるなどしている内に、時は慌ただしく流れて行き、気がついたら驚くべきことに弁護士三〇年を迎えることになってしまったのである。
 ひるがえって思うことは、「独立」というのは「孤立」とは違い、弁護士業は多様な社会の多様な成員に支えられ、しかも常に信頼関係を堅持する緊張に耐えられて初めて可能であり、これを「独立」していると言うのではないかということである。

 三月六日、「ワークピア横浜」において冬季会員研修会が開催された。
 講師は東京地裁民事二〇部の園尾隆司判事、テーマは「東京地裁における通常再生事件と個人再生事件の運用」である。参加者は一四七名に上り、会員の関心の高さを窺わせた。
 講義の前半は通常再生事件の運用である。東京地裁では申立人代理人と監督委員との自律的進行を重視していることや、手続を標準化し、申立から六カ月以内に債権者集会を開催して債権者の予測可能性を確保しているとのことであった。
 また、打合せ期日は三回設けるものの提出書面を簡略化して進行を促進するほか、予納金基準額を工夫して子会社や会社代表者の再生申立をしやすくしているとのことである。
 後半は四月から施行される個人再生事件の運用についてで、東京地裁では全件に個人再生委員を選任する予定であることや、債務者に認可決定までの六カ月間分割予納金を納付させ、履行可能性をテストする等の話があった。
 園尾判事は、弁護士顔負けの巧みな話術でしばしば会場を沸かせ、「再生」の名にふさわしい明るい解説であった。が、同時に当会でも個人再生委員のリストを至急作成する必要があることを痛感した。

レジメを用意するなど弁護士会のフォローも必要では?
 三月一五日に個人債務者再生手続に関する事務員研修会が開かれました。
 当日は、四月一日より施行されるということ、また、私たち事務員が日々直接に接している裁判所書記官が講師を努められるということで、県民ホール会議室をほぼ一杯にするほどの出席者数でした。
 三月一五日の時点では、書式等が確定していないということでレジメ等の資料は全くありませんでしたが、講師の久保田浩書記官はパソコンを利用しスライドによる丁寧な説明をして下さいました。しかし残念ながら、手元に資料が全くない状況では、私たちが個人再生手続を理解するにはほど遠いものであったと思いますし、手続のみの説明であったため、個人再生そのものについての全体的な話も聞きたかったという感想が多く聞かれました。
 せっかく多くの事務員が意欲を持って出席している研修会ですので、弁護士会としても、出来るだけ講師と事前の打ち合わせを行い、必要であるならば何らかのフォローをするなどの工夫が必要であり、またそのための体制を整えて頂きたいと痛感した研修会でした。
 今後も充実した研修会を望みたいと思います。
 (山下光法律事務所 小林早苗) 

 四月五日、平成一三年度の第一回常議員会が開催され、常議員議長には選挙の結果、池田忠正会員が選出された。また、あわせて副議長には湯沢誠会員が選出された。(なお、正副議長の抱負などにつきましては、次号で詳報の予定です)
 池田忠正議長のコメント
   「弁護士・弁護士会の転換期に際し、未熟ですが、公平・公正を旨として、湯沢副議長と手を携えて重責を果たす所存です。」

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