横浜弁護士会新聞

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2004年2月号(2)

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いよいよ始まった法科大学院 その1 予備校化を避け、法曹倫理の確立を
 司法改革の目玉である法科大学院、当会からも多数の会員が教員として参加することになっている。今回は2004年4月から関東学院大学の法科大学院で教鞭をとる岡本秀雄会員に、今後の取り組みについてのお話を伺った。
 法科大学院の教員にとの誘いを受けたときは、現在かかえている業務をどうするか等、正直言って迷いもありました。しかし、関東学院が「法曹倫理」を重視した教育を目指していると知り、これを機会に自分自身も「これからあるべき司法とはどのようなものか」といったことについて勉強をしてみたいと思いましたので、お引き受けすることにしました。
 選考は書類審査のみでしたが、自分の身上経歴に加え、民事・刑事を含めて過去にどのような事件を手がけたかについてかなり詳しい報告が求められました。
 今後担当する予定となっている講義は、法曹倫理、民事模擬裁判、リーガルクリニック(法律相談)などで、既にシラバス(講義実施要項)も決まっていますが、具体的にどのように授業を進めていくかについては現在も検討中です。特に民事模擬裁判は、法律実務家である弁護士としても取り組み甲斐のある科目ですので、実際に起こった具体的な事件をもとに、当会の若手会員数名の力を借りながらより充実したものにしようと試行錯誤を繰り返しているところです。
 法科大学院教育はこれから始まる全く新しい制度であり、どのようなものになるのか未知の部分がほとんどですが、司法試験の合格率を上げることのみにとらわれて予備校化するような事態を避け、教育の質、合格率ともに常に高く保てるよう私としても力を尽くしたいと考えています。
 司法改革は、既に計画から実行の段階に移っており、法科大学院の開講はまさにその流れを示すものです。会員をはじめさまざまな方の意見を聞きながら、法科大学院をよりよい制度にしていきたいと考えていますので、今後ともよろしくお願いいたします。
(聞き手 須山園子会員)

「創立30年盛大に祝う」 福引きあり、コンサートあり
 神奈川県弁護士協同組合の創立30周年記念行事が、昨年12月12日、ホテルニューグランドで開催された。
 これは、創立30年という大きな節目にふさわしい催しをということで、協同組合の総力を傾注したものである。
 記念行事の前に、恒例の全国弁護士協同組合連合会(各単位弁護士協同組合の全国組織)の執行部会と全体理事会が行われ、その後ペリー来航の間で、午後5時から記念式典が催された。
 この記念式典では、全国の弁護士協同組合から約50名、特約店から16社、当協同組合から多数の組合員の出席を得て、井上嘉久理事長ほかの挨拶や活動報告、そして組合功労者や特約店への表彰式などが行われた。
 続いて6時からは、がらりと趣を変え、金管ジャズフルバンド「ザ・レッドシューズ」の演奏を中心とするナイトクラブ風祝賀会に移った。ラテンからジャズまで迫力とリズム感あふれる曲目が続き、目玉の当会会員のトランペットソロの場面になると、総員固唾を飲んで聴き入っていた(写真)。
 その後アトラクションで福引きも行われ、栄養過多の箕山会長が牛肉を引当て、独身で彼女のいない当会若手会員がホテルニューグランドのペア宿泊券を獲得するなど、皮肉な事件も起ったが、最後は専務理事の締まらない締めの挨拶でめでたく記念行事を終えることができた。
 皆様の熱きご支援を深く感謝申し上げます。
(神奈川県弁護士協同組合 専務理事 遠矢 登)

恒例のバザー 無事終了
 昨年の12月12日、毎年恒例の神奈川県弁護士協同組合バザーが行われた。開催日程の変更や近年の情勢から集荷が危ぶまれたが、何とか例年並の提供品を集めることができ、当日は大盛況のうちに幕を閉じた。

私の独立した頃 (97) 會田 努会員の巻
独立した頃の事務員さんは居酒屋ママの紹介
 私は、昭和48年4月に弁護士登録をして以来、9年間イソ弁として上村恵史事務所でお世話になりました。
 このイソ弁時代は、26歳から35歳という、まさに青春時代で、同期の悪友や上村事務所のイソ弁仲間、大類事務所の関係の弁護士と自由に遊んでいました。これは、基本的にはイソ弁としての収入で、生活ができていたことが大きかったと思います。32歳のときに結婚するまでは、自宅から通っていたため、収入は、自分のためだけに使えたからです。
 こんな天国のような生活も、結婚して同時に自宅を購入したため、住宅ローンの返済にも追われることとなり、終了しました。
 結婚して3年たつと、その生活にも慣れ、何となくそろそろ独立しようかなと思ったのがきっかけで、上村先生の了解を得て独立する事になりました。特に何かがあったわけではなく、当時イソ弁は、3年から5年位で独立するのが一般的でしたし、私の後にイソ弁になった山崎明徳弁護士が、すでに独立していたということもあったかもしれません。
 しかし、独立という言葉の響きはいいのですが、その時の自分の事件は、訴訟事件が3件位、交渉ごとが2・3件でした。事件としても、小さなもので、今思うと、よくやってきたなと感じます。
 独立したときの事務所は、4階建ての4階部分で、エレベータもなく狭い階段しかありませんでした。事務所も10坪ぐらいのものでしたので、家賃が安かったのはよかったのですが、破産配当を取りに来たおばちゃんから、階段の上り下りが疲れると、クレームが出されたことがありました。きっと依頼者も疲れたのでしょうが、さすがに文句を言う人は、いませんでした。
 このビルには、その前に、山下光先生、関根幸三先生がいたと聞かされ、両先生とも既に別の所に移られ立派にやっておられたので、何となく安心したのを覚えています。
 独立に際し雇用した事務員さんは、いつも飲みに行っていた居酒屋のママが、自動車教習所で一緒になった人を紹介してくれました。すでに結婚し、子供さんが3人いましたが、この事務員さんが、その後定年までの18年間事務所を支えてくれました。彼女が勤めてから知ったことですが、事務員さんの旧姓が、私と同じ、會田であったことです。人の出会いの不思議を感じます。
 掲載の写真は、昭和60年の上村事務所旅行の時のものです。秋に清里方面(だったと思う)へ行った時のもので、カメラ目線が一致していないところが、面白いところです。写真の奥から、私、山崎、北田幸三、上村、同事務員、鈴木税理士の面々で、今では、それぞれに独立し上村事務所を巣立っています。

賀詞交換会・新年会開かれる
 1月9日、ロイヤルホール横浜にて法曹関係者を迎えて賀詞交換会が行われた。夕刻からは菜香新館で新年宴会が開かれ、恒例の抽選会では事務局の小島職員が特賞のポータブルDVDを獲得した。
 表彰された会員は以下の通り(表彰順・敬称略)
●本会在会35年の会員/高橋茂、中村文也、佐々木功、根本孔衛、大内邦彦、末岡峰雄、堀越金次、宮代洋一、横溝正子、森田三郎●法曹在職40年以上にして本会在会20年の会員/堀江一夫●本会在会50年の会員/森英雄●喜寿の会員/藤本一孝、岩田農夫男、下郡山信夫、日下部長作、菅本宣太郎、八巻正雄、村上格一、、竜嵜喜助、三野昌伸●卒寿の会員/青木逸郎●白寿の会員/藤井勝三
(社交委員 田上 尚志)

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