横浜弁護士会新聞

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2003年6月号(2)

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司法改革日々決戦 日弁連任せでは済まない時代
 七一人の理事が集まる日弁連理事会。一年の任期を終えた小島周一会員に話を聞いた。
 小島会員は、日弁連執行部から各単位会の一般会員に提供される情報のルートが少ないことに配慮し、任期中欠かさず「日弁連理事会報告」で情報の発信に尽力してくれた。
―日弁連理事お疲れさまでした。知らない会員もいると思いますので基本的なことをお尋ねしたいんですが、日弁連理事会とは主に何をする機関なんですか
 総会に次ぐ議決機関で、当会でいうと常議員会のようなものです。
―日弁連理事で一番大変だった点、苦労された点は何でしたか
 それは、毎回の、資料や議題の量が多かったことですね。理事会の前に厚さ一〇〜一五cmくらいの資料がきて、当日行くと更にまた厚さ一〇cmくらいの資料がありますからね。
―昨年度は司法制度改革の立法段階と言うことで、理事会の議題もこの関連のものが多かったようですが、検討会では日弁連の意見がなかなか賛成を得られないように思ったのですが
 検討会には日弁連から正副会長が出席するのですが、例えて言うと、彼らはボクサーで、理事会はその控え室みたいなものなんです。相手をKOしてこい!と送り出すんですが、検討会から戻ってくると、例えて言えば鼻血を出しているんですよ。
 これは規制緩和の流れや政治的力学によるところが大きいと思いますね。
 ただ、理事会は正副会長の追認機関ではありませんから、もう一度頑張って来い!と送り出す場合もあります。
―簡裁の事物管轄の問題にしても、正論が簡単に通る世界ではないということですか
 簡裁の事物管轄を引き上げることについては、引き上げなければならないような事実はまったくないと思うんですが、理念も正義もなく他士業の働きかけなどの力関係で決まっていくことがあるんだということが理事会に行ってみて初めて分かりました。
―昨年度は、裁判迅速化法案や、リーガルサービスセンターなど、突然持ち上がった問題もありましたね
 ええ。これらの難しいところは、ただ「反対」と言ってみても通じないところなんです。
 つまり、裁判迅速化法案でいうと、弁護士がサボりたいから反対しているんじゃないかという誤解を与えてはいけませんから、証拠収集方法の問題など、裁判が遅れてしまう原因を突き止めて、そこを改善するように訴えていかなければならないんです。
 また、リーガルサービスセンターでいうと、弁護士が市民に身近になることは良いことですから、単に、「官主導だから反対」などと言ってもマスコミなどは相手にしてくれないんです。弁護士が金儲けをしようとして反対しているなどと、逆に批判されてしまうんですよ。
 こういう単純に賛否の決められないテーマが山のようにあるんです。
―報酬規定もなくなるという話ですが
 そうですね。ただこれについては、日弁連がアンケートを行って、その統計結果を参考資料として作ることは良いらしいんです。
―ADRでは他業種の活動範囲が広がりそうな感じもありますよね
 検討会では、裁判以外は弁護士でなくてもその分野に詳しい者がやれば良いという発想が強いんです。
 ただ、できるだけ弁護士がADRに関わっていくことによって、むしろ弁護士の職域拡大につながるようにしていけば良いと思いますよ。
―最後に会員にメッセージをいただけませんか
 私は、理事会に行く前後で、あまりの情報量の違いに驚きました。もはや日弁連任せでは済まない時代になっていますので、「情報を流せ」と言うだけでなく、何が起きているかを積極的に知ろうとする主体的な関わり方が問われていると思います。
(インタビュー 浦田修志)

四万十川のほとりで
高知弁護士会  林 良二
 岡部光平先生より原稿依頼があり、少し気取った題にしました。
 八月一日に中村市に来ましたが、四万十川の流れを楽しむような優雅な生活ではありません。二五年間、横浜弁護士会にお世話になり本当にありがとうございました。
 数年前から地方に行って事務所を開きたいと考えるようになり、二〜三か所お誘いを受けた所もあったのですが、「日本最後の清流」というキャッチフレーズに魅かれてこの地に決めました。登録替の準備に一年半ほどかけましたが、決まっていたのは住まいと事務所の場所だけで、実際に仕事を始めるまでには一か月近い時間がかかってしまいました。ともあれ、高知弁護士会や地元の司法書士の先生方のご協力を得て、八月下旬から仕事を始めました。
 最初は法律相談が一日に一〜二件ある程度で、これで本当にやってゆけるかと心配をしてみたものの、さりとて営業活動をするわけにもいかず、事務員と一時間ほど喫茶店でしゃべっているような生活が三か月ほど続きました。しかし、事態は急変しました。一二月に入ると猛烈に忙しくなってきました。訴訟事件の依頼もぼちぼち来始めただけではなく、法律相談の電話が多くなってきました。神奈川県と違って、自治体などの法律相談が少なく、このため従来は司法書士や法務局などがその役割の一部を負担してきました。多いときには一日に五人の相談を受け、一週間で一五件くらいの相談をこなしたこともありました。これだけでも、地方にきた甲斐があったと最初のころは満足していたのですが、訴訟事件の特徴的なことは不動産の事件が多いということです。土地が広いのだから不動産の事件はあまりないと思っていたのですが、あにはからんや、現在、訴訟事件の半数以上が不動産がらみの事件です。
 弁護士が二人になり(中村支部の管轄内)、高知まで行かなくて済むようになって便利になったという言葉を聴くとよかったなあと思います。現在問題となっている弁護士過疎は、合格者数の増加だけでは絶対に解決しないというのが、八か月経過した実感です。やはり、地方で生活することの不便さや問題があり、難しいところだと思っています。
 最後に、山下光先生の故郷土佐清水市で獲れる清水サバは、刺身で良し、たたきで良しの逸品です.四万十川においでの節にはぜひともご賞味あれ。

楽しい日弁連副会長生活を振り返る
会員 須須木永一
 弁護士会館の一六階、そこに私の執務室はありました。平成一四年四月一日、ここに第一歩を踏み入れた瞬間から、私は別世界の生活を体験することになったのです。
 時は正に司法制度改革の実現に向けて一〇(後に一一)の検討会が同時に開催され、さらにはこれに影響力ある司法制度改革推進本部、法務省、最高裁、顧問会議、各政党などの動きも激しく、私どもは検討会を含めこれらの対応に追われる一年でした。関連情報は、新聞、メール、インターネットなどにより毎日シャワーのように容赦なくふりそそいできます。その情報をもとに正副会長の間で議論し、一三人の副会長は手分けして日夜対応に奔走しておりました。私どもが目指す改革を実現させるためにはどうしても関連機関などに対する説得・折衝が必要だったからです。
 このようなお話をすると、「地獄のような生活」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、私にとってこんなに楽しい一年はありませんでした。その最大の原因は一二人の素晴らしい仲間達の存在です。我々が初めて出会ったときの一致した意見は、「同じことをやるのなら楽しくやろう」でした。この言葉どおり実は漫画?のような生活がスタートしてしまったのです。その顕著な例があだ名です。人相、性格、雰囲気などからつけたものですが、初対面であったとしてもどのあだ名が誰なのかすぐに分かるほど本人にマッチしたものでした。お陰で、通常の会話は勿論のこと、正副会長会でもあだ名で呼び合う始末で、最後には本名を忘れるほどになっていました。それほど結びつきが強かったと言えましょう。
 このような素晴らしい仲間とともに充実した一年間を過ごすことのできた私はとても幸せでした。これも私をいつも応援してくださった横浜弁護士会の皆様方のお陰と心より感謝申し上げます。
 一年間本当にありがとうございました。


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