横浜弁護士会新聞

2006年6月号  −3− 目次

紛争解決センターでの解決事例報告(2) クセになりそうな達成感
二川 裕之会員
 私の担当した事案は、姉弟間の喧嘩で、弟が姉に加療約3週間の傷害を負わせたというものであった。法律上の争点は慰謝料の金額のみであったため、比較的簡単な事案と思われたが、いざ姉から事情聴取をしてみると、弟には反省が見られないので、金100万円以下の慰謝料は考えられないし、そればかりか刑事告訴も検討しているとのことであった。
 難航も予想されたが、交通事故赤本や千葉県弁護士会編「慰謝料算定の実務」などの参考文献を引用しつつ、あっせん人としては金40万円が相当であるとの考えを最初に明示した。さらに、双方の感情的対立を解消するため、謝罪文言を入れることの了承を弟から取り付け、これを姉に対する説得材料として使って、刑事告訴は止めるよう説得して慰謝料の金額も何とか了承してもらった。
 ここまでは順調であったが、あっせん成立手数料は双方折半であることを説明すると、「申し立てた弟が全額を支払うべき」と姉が主張し始めた。そこで、付き添いで来ていた両親にも急遽加わってもらい、紛争の責任の一端は喧嘩の現場にいた両親にもあるので成立手数料は事実上親が負担するよう説得した。このような経過で、第1回期目は2時間15分を要し、あまりに時間がかかったので事務職員からは「大丈夫ですか」と心配されたものの、結果として概ねの合意を得ることができた。
 そして、当事者間の公平に最大限留意しつつ、期日間に双方に書面で和解条項案を送付して調整を図ったこともあり、第2回期日には、和解契約書への署名・押印をスムーズに完了し、その場で金銭を授受して、あっせんを終了した。なお、成立手数料は、予定どおり、父親が事実上負担した。
 私は、本件があっせん人として初めての経験であったため、手探りではあったが、幸運にも和解成立まで漕ぎつけることができ、普段の弁護士業務とは異なる、「クセになりそうな達成感」が得られたので、報告する次第である。

理事者室だより2
利用しやすい司法めざして
副会長 大島 正寿
 この4月から、横浜弁護士会の副会長を務めることになりました。就任してまだ1か月半程度ですが(5月17日現在)、雑感を述べてみます。
 私は、主として刑事法関係と人権関係の委員会を担当していますが、今年度に入ってから、未決拘禁法案反対、教育基本法改正反対、学校と警察との情報提供協定締結反対の会長声明、米軍基地問題に関する会長談話と、たて続けに会長声明・談話を発表しています。それらの準備のため各委員会の方から話を伺ってみると、自分が長く所属していた委員会(公害環境)の他にも、実に多くの委員会が、様々な分野で熱心な活動をしていることを、あらためて実感しました。
 また、今年の10月からは、一定の重大事件には被疑者の段階から国選弁護人が付くことなになり、そして、その運営は、従来の被告人国選とともに、司法支援センター(別名法テラス)という新組織が担当することになります。これらを運用するための裁判所や検察庁との協議に出席してみて、関係官庁との連携(ときには反発)の重要性も実感できました。
 ということで、責任重大ではありますが、今年1年、弁護士会の運営を通じて、少しでも市民に利用しやすい司法を実現するよう、努力していきたいと思います。

コーヒーブレイク@
70年代フォークの流れをひく人たち
藤村 耕造会員
 友部正人の「一本道」は恋人と別れて呆然とし、「ふと気づくと夕焼けでした」という暮景の描写から始まる。「中央線よ 彼女の胸に突きさされ」という感情の表出があり、東京を見知らぬ街が続く一本道と表現しつつ、最後は深夜酔いつぶれたお銚子の隙間に昔のふたりの姿を蘇らさせて静かに終わる。
 こんな曲まで含めて、「四畳半ソング」と一くくりにして捨て去った時代があるわけだ。フォークソング特集等では取り上げられない曲だが、少し前に辻香織という女性がアルバムでカバーしているのに気づいた。
 彼女は、幼いころ父親につれられて、早川義夫(元ジャックス)のコンサートに行き、フォークに興味をもったという。
 佐渡在住の兄弟デュオ「平川地一丁目」は、現役高校生だ。父親が収集した70年代フォークの「レコード」を聴きながら育ったそうで、シングルCDのカップリングで多数のフォークの曲をカバーしている。村下孝蔵の「初恋」は、淡い初恋時代を振り返る内容だが、彼らが歌うと「現役」世代だけに痛切な曲に変わる。
 「松山行き」ではアコースティックギター中心の編曲になっているので、「原曲よりフォーク的」という「矛盾」が楽しめる。
 パンク・ロック系にも、フォークの影響をうけた人たちがいる。
 ガガガSPは「倍速で歌う吉田拓郎」だ。リードボーカルのコザック前田はソロアルバムで泉谷しげるとコラボしている。
 ハナレグミもパンク系のボーカルがソロデビューしたもので、「家族の風景」は、最近亡くなった高田渡を髣髴とさせる。「マタ〜リとしたカントリー」という形容は、そのまま在りし日の高田渡のコピーに使えそうだ。
 電車男のテーマソングで昨年ヒットを飛ばしたサンボマスターは、ニート時代に下宿で加川良、はっぴいえんど(遠藤賢二)ばかり聴いていた。オフコースから始まった「キリンジ」、泉谷しげる、三上寛の影響のもとに自殺願望をテーマに据えた「野狐禅」、アメリカフォークの影響を受けた「モンゴル800」など、他にもフォークの流れを感じさせる人たちがいる。滅んだと思っていたフォークは今でもかろうじて生き続けているようだ。この種の人たちを探すのが最近の楽しみになっている。
 音楽に「いやし」「励まし」といった効用が要求される潮流のなかで、70年代フォークの「後継者」たちは、かつての先輩たちのように、やや後ろ向きの姿勢で、個人的な感情を歌い続けている。
 彼らが同化消滅の道をたどるのか、あるいは彼らにも居場所があって、独自の道を歩き続けてゆくのか。行く末に興味を感じる。

こちら記者クラブ 新たな意気込み
 「助けて」、法廷内に響き渡った女性のか細い声。出勤途中に突然襲いかかった米兵に対し必死で抵抗を続ける被害女性の断末魔の叫びに、傍聴席には涙を流す人の姿もあった。私は被告席に座る米兵の表情をうかがうが、彼は表情を変えず終始うつむいたまま。3月17日に開かれた米兵による横須賀女性殺害事件の初公判の中で、検察側は事件現場近くの防犯カメラの映像を証拠として示した。被告人の残忍な犯行を示す決定的な証拠。遺族は女性が助けを求める最後の叫びを、どのような気持ちで聞いたのだろうか。胸が痛んだ。
 私は今年1月まで、2年間あまり警視庁クラブで捜査一課を担当していた。殺人・強盗・強姦など次から次と発生する凶悪犯罪の現場を駆けずり回り、早朝・深夜には捜査員の自宅に夜討ち朝駆け取材を行う毎日。踏み入れた事件現場は数知れないが、果たしてどれだけ視聴者の心に訴える報道をしてこられただろうか。
 日本テレビの横浜支局は記者が2人という少数精鋭体制(…)で、担当は神奈川県内の警察、検察、裁判から行政までと広範囲に及ぶ。ここでは、事件が発生すれば裁判で判決が出るまでを、腰をすえて取材することができる。被害者のやるせない怒り、被疑者の心の変遷、ひとつの事件が物語ることは多い。私たちが目指しているものは弁護士の皆さんときっと同じ。本当に弱い立場にある人を救い、より良い社会を築くための報道をしていきたいと思う。
(日本テレビ横浜支局 柳沢 高志)

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