横浜弁護士会新聞

2008年9月号  −1− 目次

平成21年5月 被疑者国選の対象事件拡大 裁判員裁判の開始 われわれはどう対応していくのか?
■現在の被疑者国選登録者では対応できない
 被疑者国選は、「必要的弁護事件」にまで対象事件が拡大する。想定される被疑者国選の事件数は、別表1のとおりである。これを現在登録されている被疑者国選弁護人だけで担うと大変な負担となる。とりわけ支部会員の負担が大きい。そこで、声を大にしてお願いしたいのは、これまで被告人国選に登録している会員には是非、被疑者国選にも登録していただきたいということである。
別表1・被疑者国選想定件数
■被告人段階からの国選は激減
 必要的弁護事件は「無期または長期3年を超える懲役もしくは禁固に当たる事件」(刑訴法289I)であるから、重大事件だけではない。窃盗や覚醒剤単純使用など全勾留請求の80%以上が被疑者国選対象事件となる。また、ほとんどが被疑者段階からの選任となり、被告人段階からの選任はわずかとなる。本部では、月60件、1日平均2〜3件と予想している。
 拡大する被疑者国選事件に対応するためには最低限、被告人国選の登録者数に近い数の被疑者国選の登録が必要である。どうか「被告人事件はやるが、被疑者国選はしんどいからやらない」と言わないで欲しい。
■年に1件でも県西支部会員の応援を
 小田原支部の被疑者国選事件については、県西支部会員の被告人国選登録者が全員被疑者国選登録しても、また新規登録会員が全員被疑者国選登録をしたとしても一人年間19件の被疑者国選を担当しなければならない。同じ当会の会員であるのに県西支部会員だけにこのような加重な負担を押し付けるわけにはいかない。年に1件だけでも、小田原支部の被疑者国選事件を担当して、県西支部会員を応援しよう。応援対象事件は、小田原警察、平塚警察、厚木警察のように本部から比較的近い警察の身柄事件だけで、裁判員裁判対象事件、要通訳事件、即決裁判も対象外となる。
■中堅・ベテランの方も裁判員裁判国選の登録を
 5〜6月にかけて裁判員裁判の国選名簿に登録していただいた会員数は別表2のとおりである。数字的にはなんとかなりそうでもあるが、複数選任を考えるともう少し登録人数を増やしたいと考えている。また、若い会員は積極的であるが、20〜30期代の会員の少なさが目立つ。
 なお、裁判員裁判国選は、本部では1週間単位で待機してもらい、支部では登録者名簿を作成し、順番に配点することになる。
別表2・裁判員裁判国選担当者(2008.6.2現在)
■おわりに
 平成2年に当番弁護士制度を発足させて以来、多くの弁護士が、身銭を切って汗をしてきた。こうした日々の活動がそれまで日の当たらなかった被疑者段階の弁護を充実させてきた。その目指す先は「被疑者国選制度」の実現だった。そして、いよいよ来年5月から被疑者国選制度が本格的に始動し、われわれ弁護士の悲願がようやく実現することになった。裁判員裁判も大きくこれまでの刑事裁判を変えることになる。われわれは、ここでもう一度、弁護士の使命を思い起こし、あらたな局面を迎える刑事弁護に万全の態勢で臨みたいと思う。会員の皆さんのご協力お願いします。
(刑事弁護センター 運営委員会委員長 木村保夫)

弁護人役の法廷活動に積極評価 裁判員模擬裁判意見交換会
 7月15日、6月18、19日に実施された裁判員模擬裁判について、地裁主催による意見交換会が催された。
 同模擬裁判は、事実関係にほぼ争いのない危険運転致死罪を題材にしており、情状に関する主張立証のあり方が、意見交換会においても議論の中心となった。
 検察官役からは「検察側が主張した事実が認定されないと、減点方式によって量刑が下がってしまう危険性がある」といった意見が出された。
 弁護人役からは、自身の法廷活動について「書面を読まずにアイコンタクトで冒陳、弁論を試みたが、労力を割いたわりに意味がなかった」といった消極意見もあった。しかし、裁判官役から「中継されなかった中間評議の場面では、裁判員がかなり弁護人役の意見に揺れ動かされていた」「中身の問題以前に、まずは弁護人の話に耳を傾けてもらわなければならないはずで、弁護人の話は聞きやすく、効果的であった」等の意見が聞かれ、弁護人の法廷活動に対する積極評価が聞かれたことが印象的であった。
 傍聴人席から見ても、この弁護人役(高藤杏花、岩城栄二、齋藤守各会員)の行った冒陳、弁論は、プレゼンテーションの面でかなり質が高く、書面の読み上げとは違う画期的なものであった。裁判員に配布する書面のあり方など、試行錯誤の余地はまだあるが、苦労されただけの価値は十二分にあったように思う。
(会員 伊東 克宏)

山ゆり
 最近スポーツで感動したのは、4大会16年ぶりの男子バレーボールの五輪出場である
 日本はかつてバレー王国と言われ、五輪では男女ともメダルを取るのが当たり前とされていた時期があった。それが、84年のロス五輪の女子の銅メダルを最後に低迷し、男子にいたっては、メダルはおろか、五輪に出場することさえできない状態が続いていた
 今回出場を決めた瞬間、コートに大の字になって暫くの間うつ伏せで倒れていた植田監督の姿は印象に残った。栄光の男子バレー復活という使命を負わされた重圧は相当なものであったのだろう
 男子バレー低迷の原因は詳しくは知らないが、金メダルを獲得したミュンヘン五輪の頃は、「天井サーブ」「ドライブサーブ」「一人時間差攻撃」など、どの選手も技の研究・開発に余念が無く、発想も豊かであった 梨
 この4月で弁護士になって10年が過ぎた。事件処理の要領はつかめてきたが、その反面、探究心が次第に薄れてきており、ともすれば定型的な処理を行いがちである
 一つひとつの事件は「似て非なるもの」である。最も適切な解決を図るためには、日々研鑽していかなければならないと改めて思う。
(大和田 治樹)

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