横浜弁護士会新聞

2011年3月号  −1− 目次 

「新理事者の顔」が揃う
平成23年度の当会理事者に、<1>新理事者として一言、<2>略歴、<3>趣味等、について語ってもらった。
次期会長 小島 周一(36期)
<1>私が横浜弁護士会に登録した昭和五九年(一九八四年)は、会員数が五〇〇名弱、副会長を務めた平成一三年(二〇〇一年)でも七〇〇名ほどでした。裁判所所長や検事正の就任歓迎の席上などで、「まだまだ会員がお互いの顔を知っている、顔が見える弁護士会です」と、横浜弁護士会を紹介できる、そんな雰囲気がありました。
 その横浜弁護士会も、平成一八年には会員数が八三〇名を超え、五年後の現在は約一二〇〇名と、会員数がこの一〇年でほぼ倍増しました。それに伴い、会員相互、会員と弁護士会との関係も大きく変わってきました。弁護士・弁護士会に対する市民、マスコミの期待は大きくなり、同時に視線も厳しくなっています。
 このような大きな変化・変革の中でも、弁護士は、法律家としての誇りを持ち続け、基本的人権の擁護と社会正義の実現という基本的使命を果たし続けなければなりません。
 横浜弁護士会が、弁護士に対する市民の期待に応えるとともに、会員が誇りと生き甲斐をもって活動することを少しでも支える存在となれるよう、会員の皆様の知恵と力をいただきながら努力したいと思います。
<2>産まれた病院は静岡県沼津市ですが、以後はずっと川崎市で育ち、県立川崎高校を卒業後、都立大学(現首都大学東京)法学部を出ました。
 大学のゼミ時代に読んだ判決に感銘を受け、修習開始時点での志望は裁判官に○をつけていたのですが、実務修習等を経て、自分がやりたいと思える分野や事件に自分からアクセスしたい、代理人を通した事実ではなく生の事実に直接触れたい、という気持ちになり、弁護士を目指すようになりました。
 弁護士になってからは、殺人えん罪事件、大型差別事件や解雇事件等の労働事件、医療過誤事件などに取り組んできましたが、とりわけ、弁護士登録5年目に発生し、以後9年近くの間、救出・真相究明活動に取り組んだ坂本弁護士一家事件では、市民、マスコミ、自治体の方々と救出活動をともに行う中で、市民にとっての弁護士とは、弁護士業務とは、などなど、いろいろ考えさせられるところがありました。
<3>小学校からずっと野鳥の観察日記をつけていて、高校までは「将来は鳥の学者になるんだ」と言っていました。スポーツは、中学から大学までサッカー部に所属していました。中学の時の市大会準優勝が最高成績です。横浜弁護士会サッカー部の創立時メンバーの一人でもあります。大学からはバイクに乗り、テントを積んでソロツーリングに行くのが趣味でしたが、最近はほとんど乗れていません。それでもまだカワサキナナハンのオーナーです。そのほか磯釣りや麻雀にも学生時代に夢中になりましたが、いずれも今は休業状態です。

次期副会長 若田 順(47期)
<1>今期1年他の副会長と一緒に会長を補佐してがんばりたいと思いますので、よろしくお願い致します。課題によっては、「痛み」の伴う提案等もあるかもしれませんが、会員一人一人が関心をもって結論を出していただけると幸いです。
<2>生まれは大阪で(今でも関西弁を話せます)、小学6年生のときに横浜に引っ越してきました。県立横浜緑ヶ丘高校、明治大学法学部と進みました。実務修習は神戸、平成7年に当会に登録しました。
<3>最近は仕事に打ち込むよりも、コートにボールを打ち込む回数が多くなっておりました(テニス)。ダイビングもやりますが、年1〜2回の完全リゾートダイバーです。

服部 政克(48期)
<1>大変な時代ですので、会員皆で知恵を出し合い、力を合わせて頑張りましょう。微力ながらお役にたてるよう頑張ります。
<2>横浜市鶴見区出身。明治大学付属明治高校、明治大学法学部卒業。実務修習地は仙台です。前期修習に行われた寮祭(平成6年はまだ寮祭がありました)でクラスの幹事をしたことから「社長」と呼ばれ、そのままニックネームとなりました。
<3>当会野球部でキャプテンを務めましたが、今は残念ながら現役引退状態です。仙台修習時代には地元のスキー同好会に所属し、弁護士になってからもスキー同好会や野球部仲間でスキーに行っていました。弁護士フェスタの美術の展示に油絵を出したこともありますが、新作の予定は今はありません。

伊東 克宏(48期)
<1>この度、再々選挙に立候補し、副会長の座を射止めました(涙)。その昔、ケネディ大統領は、演説で、「私の仲間であるアメリカ人の皆さん、尋ねないで下さい、国があなたのために何をしてくれるかを。尋ねて下さい、あなたが国のために何ができるかを」と訴えたそうです。どうぞ皆様の力をお貸しください。
<2>大河内秀明先生ご指導のもと、横浜の地で実務修習を終え、検察官として5年間勤務した後、再度当会のお世話になり、早10年が経過してしまいました。
<3>昨年の猛暑の影響により頭が坊主になりました。先日拘置所で、一般接見用の用紙を渡されそうになり、おかしな間の後で、「あっ、弁護士先生ですか」と言われました。

安藤 肇(49期)
<1>4支部から推薦されて副会長になりましたが、神奈川県内の全地域を管轄する団体である横浜弁護士会の理事者として会長を補佐して尽力したいと思います。半代表といったところです。
<2>修習で前橋に行くまでは綱島の実家で暮らしました。修習終了後、直ぐ、川崎で開業しました、当時は珍しかったノキ弁として事務所に入りました。川崎で開業した動機は弁護士数と管内人口の比率と東京と横浜に挟まれた場所を良しとしたためです。
<3>大学卒業後沢山勉強した方なので、その関係からか、教養のなさに多大なコンプレックスを持っています。朝日新聞の日曜版の書評を見て、教養が身に付きそうな本を極力読むようにしています。最近読んだ本の中では、トクビル著「アメリカのデモクラシー」、A・コジェーブ著「権威の概念」は興味深かった。

狩倉 博之(49期)
<1>実務修習以来お世話になってきた横浜弁護士会の副会長に就任させていただき、光栄に思うとともに、大変に緊張しています。微力ではありますが、会長を補佐し、他の副会長と力を合わせ、精一杯がんばります。
<2>横浜で生まれ、今日まで一貫しての横浜市民です。横浜市立金沢高校、明治大学法学部を卒業し、平成9年に当会に弁護士登録しました。
<3>最近のマイブームは落語。時間を見つけては野毛のにぎわい座に通っています。お薦めの噺家は桃月庵白酒です。日本酒が好きで、今年は飲む機会が増えそうですが、2年ほどかけて30kg近いダイエットに成功したばかりですので、リバウンドにはくれぐれも気をつけたいと思っています。

山ゆり
 地裁本庁の南西側の待合室から一部だが富士山が見えた。新庁舎ができたのがいつだったか覚えていないが、その待合室を訪れた回数は少なくなかったろうに、富士山を見たのは初めてである。反対側の待合室から美しい海を眺めることはよくあったのだが
少し前のニュースになるが、昨年、とある学校からの観測によると、東京の武蔵野地方から富士山が見えた日は、63年以降最多の116日だったそうだ。65年には22日しか見えなかったとのことなので、5倍以上見えた計算になる。空気が乾燥してきたことの他、大気がきれいになったことがその原因らしい。誠に喜ばしい限りである
考えてみれば、富士山は常に静岡県と山梨県の境に存在している。これが見えないのは、しっかり見ようとしなかったからであったり、或いは大気が澄んでいない結果に過ぎない桜餅
自分も事件処理にあたって、記録をしっかり見て、つぶさに検討できているだろうか。また、記録を見ているつもりでいても、実は思い込みで曇った目で見ていないだろうか。ふと、そんなことを考えてしまった。常に気を引き締めていかなければ。
 
(奥園 龍太郎)

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