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「人権を守る」ということ
今私たちが使っている「人権」という考え方は、「人間がただ人間であることにのみもとづいて当然に持っている権利(宮沢俊義)」などと説明されたりするが、人間の歴史の最初からあったわけではない。生まれたのは、近代国民国家が生まれたのと同じ、18世紀後半と言ってよい。
近代国家の基本は、ホッブス、ロック、ルソーというビッグ・ネームに心当たりのある方はおわかりだろうが、彼らの立てた理論がベースになっている。まず、一方に人権の主体である個人を、他方に国民が主権者である国家を対置させる。個人はもともと自由に振る舞える、しかし市民社会を営むうえで皆が好き勝手にやってはうまくないので、国家というものを作ってそこに権力を集中させる、そこで個人はその国家と契約を結び、国家にしてはいけないことをはっきりさせておく。この「国家権力が侵してはいけないもの」が、国民の「権利」であり「自由」と呼ばれるものになるのであり、そのカタログが憲法に「権利」として記してあるのだ。
つまり、近代国家において「国民の権利」侵害者として想定される加害者は、まず第一に国家であり、「国民の権利」を守るべき義務者も、(個々の国民というよりは)国家なのである。また、別の言い方をすれば、「国民の自由」というのは、まず第一に「国家からの自由」になるのだ。
もちろん、こうした近代国家の理論は、一つのフィクション、お約束である。実際に国家がしっかりしていないと「権利」が守られないのも確かだろうし、福祉の分野などで顕著であるが、「国家による自由」の重要性が増大しているのも間違いない。また、社会的マイノリティなど、そもそも「人」権の主体たる「人」に想定されていなかった者達の権利も、従来の「人権」概念に対する批判を経て、主たる課題となっていることも自覚している。しかし、やはり人権の基本というか古典的枠組は、あえて愚直に、常に押さえ続けばなければならない。私たちがまず注意しなければならないのは、国家権力による人権侵害であり、私たちは、自ら人権を守るというよりは、国家が人権を侵さないよう監視し、「国家に人権を守らせる」ようにしなければならないのである。
2012年(平成24年)3月2日
横浜弁護士会 人権擁護委員会