横浜弁護士会新聞

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2000年8月号(2)

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市民から活発な意見相次ぐ
 政府諮問機関である司法制度改革審議会(佐藤幸治会長)第四回公聴会が、本年七月二四日、大阪、福岡、札幌に次いで、東京(日比谷公会堂)において開かれ、会長のあいさつを皮切りに、一般市民から選ばれた八名の公述人がそれぞれの経験・立場をふまえ、司法制度の現状・問題点について、活発に意見を述べた。興味深い意見をご紹介する。
 病院内で出産後間もなく、うつぶせ寝によって、我が子を亡くし、七年間に渡って、医療過誤訴訟を継続している(現在上告中)櫛毛富久子氏(専門学校講師)は、原告として長年月に渡って訴訟に関与し、市民感覚から外れた事実認定を目の当たりにして、(1)立証責任の転換、(2)陪審員・法曹一元制度の導入、(3)公平な鑑定人の確保、(4)証拠の全面開示が公正・公平な裁判には不可欠であると主張した。
 松本サリン事件でマスコミから犯罪者扱いをされ、警察からは自白の強要を受けた河野義行氏(会社員)は、「もし、犯行に使われたのが特殊なサリンガスでなくシアンガスで、しかも、弁護人を選任していなければ、私の場合、冤罪となっていたのではないか」として、被疑者公費弁護人制度の早期実現を訴えた。
 関東ろう連盟理事長で、ご自身も聴覚障害を持っている野崎克哉氏は、障害者に身近で利用しやすい司法の実現を強く求め、裁判所内での手話通訳の公費負担、また、「代理人として弁護士が付いているのだから、ご本人には手話通訳は不要でしょう」と即断され、裁判官の人権感覚に疑問をもった経験から、人権感覚豊かな弁護士から裁判官になってもらいたいと主張した。なお、野崎氏は、法曹界の多様性を奪う結果となるようなロースクール構想には、一抹の不安を覚えており、障害者に広く門戸を開くものであってほしいと要望した。
 また、商社で法務を担当している堀眞理氏(会社員)は、訴訟実務経験から「担当裁判官の途中交代は訴訟遅延のもとであること、裁判官は経済取引社会についての理解があまりにも不足していること」を指摘し、裁判に要する時間の短縮、形式的判断からの脱却を強く要望した。
 この他にも様々な意見が述べられたが、現在の司法制度には、多大な問題点があり、必ずしも、市民へのサービスに結びついていないということで、一致していた。
 本公聴会を踏まえ、市民感覚に沿った答申が出されることを期待する。
(司法改革推進委員会 副委員長  ) 


その頃は何もかも薔薇色だった
 私の独立は昭和四九年、三〇歳の時だった。
 その頃は何もかも薔薇色だった。今は五六歳、事務所の弁護士は自分も入れて八人、日弁連の副会長にも就任したが、心に秋風が吹いていることは隠しようもない。
 家族は、その頃眼に入れても痛くない年子三人と、今は見る影もないが和服の似合った恋女房、父母の七人であったが、今は酒豪の父も死に、子供二人は独立し、四人に過ぎない。
 私は、人ぞ知る森英雄弁護士のところで修習をし、そこで四年間イソ弁をした。
 人によっては、森英雄弁護士から将の将たる器を学んだという人もいるが、兵の資質にすら欠ける私には、そのような教育は不本意ながら糠に釘の如きものであった。当時は未熟なためか、先生のお話の本質がよく理解できなかった。ところが、最近は何かの拍子にその言葉を思い出して、そうであったかと思うようになった。遅きに失したようである。ただ、イソ弁時代に弁護士として、人として、何か骨格らしきものが出来たような気がする。それから四半世紀、一週間に一度先生とお会いし、お伴をするのを未だ楽しみとしている。
 そのような意味で人に恵まれた人生であった。
 その上経済的にも独立した頃は極めて順調だった。独立の祝いは、当時は今より高級であった般若亭で顧問会社の社長を集めて行われた。顧問料だけで家賃と人件費の支払いが可能だったが、今は不思議なことに無理である。考えてみると、家賃と人件費は何倍かになったが、顧問料は変化がないから当然かもしれない。生来、経済観念がなかったので、独立と同時に約三〇坪のマンションを購入し三浦市から横須賀市小川町に移転した。そのための借金が二〇〇〇万円であった。
 今でこそ大した金額ではないが、当時は協同組合の高額借入れの一号であったように記憶している。
 借金があったがそのようなことは歯牙にもかけず、一升酒に午前様、クラブの梯子である。体も壊さずによく今日に至ったものだと思う。
 夜な夜な紅灯の巷、ハマの高級クラブを金がある時は飲み歩き、金がなくなると焼鳥で飲む羽目になったが、それはそれで楽しかった。
 何かにおぼれる体質がなかったためか、否、異性にもてなかった悲しさか、大過なく今日に至り、今は大過がなかったのが、いささか寂しいと思うようになってきた。
 最近は朝六時からジョギングを開始し、休みといえば影より他に友もなく山々を跋渉している。人は変われば変わるものである。
 若い頃は弁護士会にはほとんど行かなかった。弁護士会の意見に対しては、建前論が多いような気がして、何となしに違和感があった。
 この頃、自分の意見と他者のそれが異なるのは、現状認識が人によって違い、価値観が違うので当然と思うようになった。司法改革の論点に対する見解の差異なども、弁護士会と弁護士の関係、社会の弁護士に対する期待や置かれている立場について、会員各自が認識を異にしているところから発生しているようである。それはそれでいいが、その結果、会内合意に至らず、本来、弁護士会が決定しなければならないことを、他者に決定されている現実を見ると悲しさを感じる。
 しかし、在会三〇年、何があっても私にとって横浜弁護士会は恋人となった。

 五月一〇日、横浜弁護士会倒産法研究会(会長村瀬統一会員)が設立された。早速、当日、東京弁護士会会員の才口千晴弁護士を招き、「倒産事件における弁護士の役割と課題」というテーマで講演をお願いした。
 講演会の参加者は九〇名を超えた。講演では、倒産事件を専門とする弁護士の悲喜こもごも含めて大変有意義かつ興味深い話を聞くことができ、これから倒産事件に積極的に取り組もうという会員にとっては夢と希望を与える内容となった。
 ところで、もともと当会会員研修運営要綱には、専門実務研修という制度が予定されているが、実質的な活動がなされていなかった。そこで比較的会員の関心が高く、しかも研究が日常業務に生かすことができると思われる倒産法の分野について、まず研究会を立ち上げようと川島清嘉研修委員長を中心として取り組んだのが今回の研究会設立である。
 現在、研究会の会員数は九七名で、破産管財部会と民事再生法部会に分かれて、それぞれ研究活動を開始している。民事再生法部会については六月一二日、長瀬幸雄会員を講師として招いて講演を行った(参加者三〇名)。破産管財部会については、立川正雄部会長が中心となって、これからの活動方針を策定中である。
 さらに、倒産法研究会では、東京弁護士会の倒産法部会と定期的に交流を行うことも検討している。筆者は、五月一六日に行われた東京弁護士会倒産法部会が主催した講演会と、その後の懇親会に出席する機会を得た。
 東京地裁第二〇民事部の裁判官、著名な倒産専門弁護士が大勢出席していたが、いずれもベテランぞろいの割に、大変パワフルで若々しいという印象であった。席上、横浜弁護士会倒産法研究会の設立を報告したところ、盛大な拍手と激励の言葉を頂いた。現在、仁平信哉民事再生法部会事務局長が当会からの特別部員という形で入部を認められ、人脈づくりと情報収集に奔走している。
 今後、横浜弁護士会倒産法研究会が実績を残していくことができるかどうかは一重に会員の熱意にかかっていると思われる。
 一人でも多くの会員が入会し、お互いの親睦を図りつつ切磋琢磨できるよう希望する。
(入会は随時受付しています。入会希望者は筆者宛ご連絡下さい)
(横浜弁護士会倒産法研究会事務局長 若田 順) 

 刑弁センターが編集した「Defense」というタイトルの刑事弁護ハンドブックが七月に発刊された。本書は刑事弁護のエッセンスを詰め込んだもので、携帯に便利なサイズとするため学問的な知識は省いてある。何でも書いてある訳ではないが、他の書物には書いてない事も書いてある。
 本書の発刊を記念し、七月三日、横浜弁護士会館五階において、九州大学の大出良知教授を講師に記念講演会が開催された。
 大出教授は、当番弁護士制度が普及することによって、早期に弁護士がつくことの重要性が認識されてきた、当番弁護士の委員会派遣制度も全国的になりつつあることを評価すると同時に、人質司法と言われる刑事司法の現状を打開するためには、身柄を自由にするための活動をもっと積極的に行うべきと弁護士に対し注文を加えた。
 講演会終了後、隣室で記念パーティが開催され、講演会参加者、編集担当者らの懇親がはかられた。

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