横浜弁護士会新聞

2006年3月号  −3− 目次

理事者からの『かけ橋』
ようやく春が来そうです。
副会長 齋藤 尚之
 寒い冬も終わります。今年の執行部もいろいろな出来事があって長く感じましたがあとわずかです。至らない点が多かったのに皆様のご理解とご協力のおかげで何とかここまで来ることができました。執行部の末席になって本当の意味で会員の皆様が常議員会・各室等も含めた委員会活動や国選・当番・扶助等の公益活動に尽力していることがわかりました。また、事務職員の苦労も垣間見ました。そこで、少しだけ私見を述べさせていただきます。
 1つは公益活動の負担の公平化です。社会の弁護士に対する期待は大きく、弁護士会に対する公益活動への参加の要請は増大すると思います。一部の会員の善意に頼るのではなく、会員全員の努力が求められているはずです。負担の公平化を制度化する時期に来ているのではないでしょうか。また、ボス弁の皆様には勤務弁護士に会務活動、公益活動を積極的に勧めていただきたいと思います。かくいう私も勤務弁護士で今年は事件の配点を減らしてもらい、国選等をすべて若手会員に替わってもらってここまで来られました。
 もう1つは事務体制の問題です。会員数が千人になれば、非常勤(といっても、休日も入れれば週5日は来ていますが)の会長・副会長が事務局をリードするのは困難です。例えば、今までの副会長とは別に毎日午後常勤の副会長を1人設けて委員会等は担当なしに事務局を任されるというのはどうでしょうか。あと1ヵ月間よろしくお願いいたします。

私の独立した頃(105)
「迷わず突っ走ればよい」
石戸谷 豊会員
 私が独立した頃、横浜弁護士会は300人余りだった。そういう時代だった(1979年頃のことである)。もともと私は、横浜で修習するうちに横浜がたいへん気に入ってしまったわけで、地縁・血縁どころか、知人もいないという状態で横浜でイソ弁となった。
 その頃私は、弁護士業務は開業医のようなものだろうと考えていた。実は、父が営林署に勤務していた関係で、子供の頃は田舎を転々とした。そういうところでは、医者は内科も外科も眼科も耳鼻科もなんでもやっており、いろんな患者が順番待ちであった。血と膿だらけの足をいじった手で私の洗眼の順番となり、「ちゃんと消毒したのだろうか?」と子供心に不安に感じたものである。こうした原体験があり、似たようなもので、「専門化していけば、弁護士の仕事はいくらでもある」という素朴な感覚であった。
 とは言え、独立した頃は、一般事件が数件ある程度であった。自分の分野がハッキリしてくるのは、薬害のスモン事件が終わってからである。この弁護団の中から、医療弁護団を立ち上げた人、公害の分野に突っ走る人、消費者事件に取り組む人、などそれぞれの得意分野を明確にする人が出て、全国レベルの活動をするようになる。
 振り返ってみると、わが業界も人数は増えているし相当専門化してきたという感じがする。しかし、社会的なニーズから見れば、まだまだではないか。というわけで、若い方々は、迷わず突っ走ればよい。取り組むべき分野は、まだまだ目の前に広がっている。
 面白がって仕事をしていると、時間の過ぎるのはアッという間だ。すると、電話がかかってくることになる。「あのう、弁護士会新聞に原稿を書いていただけませんか。タイトルは、『私が独立した頃』です」。すると、あなたは感慨にふけりながらワープロに向う。たぶん、書き出しはこうだ。「私が独立した頃、横浜弁護士会(そう呼ばれていた)は、800人余りだった。そういう時代だった…」。

こちら記者クラブ 【ある卒業式で】
 忘れられない卒業式がある。03年3月、取材で訪れた新潟市の朝鮮初中級学校。新聞記者になって、ちょうど1年がたとうとしていた。
 壇上に10人の卒業生が座った。在校生と向かい合い、スライドを上映して思い出を語り合う。式の最後、1人ずつ決意を述べた。「いろんなことがあった。でも前を向いてしっかり歩きたい」
 あどけなさの残る顔で、毅然と話す姿に涙が止まらなかった。彼らを取り巻く状況は「希望に満ちた船出」とは程遠かった。
 そのころ、北朝鮮による拉致問題が連日報じられていた。近くの港に北朝鮮の船がつくたび、学校まで街宣車が押し寄せる。ひっきりなしにかかる無言電話。ホームページには心ない書き込みが続き、閉鎖を余儀なくされた。
 それに、当時の新潟県は朝鮮学校卒業生に公立高校受験資格を認めていなかった。卒業生は私立高校か県外の朝鮮高級学校に進学した。
 子どもたちの手ではどうにも解決できない難題ばかり。15歳の肩に乗せるには重すぎる荷物に、胸を痛めないわけがなかった。「いろんなこと」という言葉をきっかけに、みな涙を流し始めた。じっとこらえていたものがあふれ出したようで、傷の深さが伝わってきた。
 子どもたちの姿をなんとか伝えたいと思った。だが、政治や外交までもが絡み合うデリケートな問題。伝えきれたか、今も自信がない。
旅立ちの歌が聞こえ始めるこの季節、力も経験も足りない自分へのいらだちとともに、あの涙を思い出す。
(朝日新聞横浜総局 岩波 精)

常議員会レポート第12回(平成18年2月9日)
 第10回常議員会と今回の常議員会の間に、臨時総会に上程する綱紀・懲戒事務滞留問題の決議案に関する臨時常議員会が開催されたため、今回は第12回の常議員会となった。臨時総会の翌日にも拘わらず、出席率が高く、多数の案件につき熱心な討議がなされた。議案の審議に先立ち、理事者から臨時総会の結果報告がなされたが、その報告内容は、「綱紀・懲戒請求手続に関する臨時総会決議」案が若干の修正を経て承認されたこと、その結果を日弁連及び記者クラブに対して既に報告したこと、各弁護士会連合会及び単位弁護士会に報告予定であることなどである。
〈議案〉
 今回は、緊急議案を含め17議案が上程されたが、主なものは次のとおりである。
 「高齢者・障害者の権利擁護の集い」の開催及び実行委員会の設置を承認した。同集会は、当会が日弁連の要請に基づき2006年度中に、横浜市において開催するものである。今回は第5回目であるが、前回は福岡県で開催された。
 3月3日に開催される日弁連臨時総会議案(裁判所の処置請求に対する取扱規程、開示証拠の複製等の交付等に関する規程等)に関する当会の一票につき、日弁連の案に賛成することを承認した。
 日弁連からの「日本司法支援センターの設立に伴う財団法人法律扶助協会実施の自主事業存続のための制度構想(案)について」の照会に対し、当会が同構想案に賛成の回答をすることを承認した。同構想案は扶助協会の自主事業につき支援センターに委託する方式(日弁連委託方式)を採用すること等を内容とするものである。
 通常総会の委任に基づき綱紀委員会委員及び予備委員を選任した。
 当会が推薦する日弁連理事、日弁連監事を常議員会付議事項とすることを承認した。
 平成18年度日弁連理事として、木村良二会員(32期)清水規廣会員(28期)を推薦した。
 神奈川県労働委員会公益委員候補者として、関一郎会員(25期)水地啓子会員(35期)高荒敏明会員(25期)を推薦した。
 医療観察法に基づく国選付添人推薦に関する規則の制定につき承認した。
 弁護士任官退官者、弁護士職務経験者等の入会手続の特例に関する規則の制定につき承認した。同規則は上記の者につき入会金の免除又は猶予の基準を定めるものである。
10  横浜弁護士会民事裁判手続運用委員会設置規則の一部改正につき承認した。同委員会の委員数を「30名以内」から「50名以内」に変更するものである。
11  横浜弁護士会法教育センターにおける講師を担当する弁護士としての活動を「会員の公益活動及び委員会活動に関する会規」に基づき、公益活動として指定することを承認した。
〈報告事項〉
 理事者から人事案件他9件の報告があったが、主なものは以下のとおりである。
 当会会員1名に対し、1月27日付で除名の懲戒処分を言い渡したこと。
 支援センターにつき、法務省から、川崎、小田原については、支部設置の予定であること、相模原及び横須賀については支部ないし出張所の設置の予定がないとの通知がきていること。

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