横浜弁護士会新聞

2007年3月号  −1− 目次


高く険しい山も着実な一歩から 次期会長 山本一行会員
 平成19年度の当会理事者が選出され、既に次期を視野に入れた活動が始まっている。ここでは、今後の活躍が期待される次期正、副会長に、(1)新理事者として一言 (2)略歴 (3)趣味、の順で今後の抱負と自己紹介をお願いした。
 
次期会長 山本 一行(33期)
(1)現会長の木村良二さんとは平成8年度共に副会長をした仲で、そのころ彼は私のことを「何時も怒っている。短気だ。恐い」と、弁護士会新聞に載せていました。本当は、心優しい男なのです(一人頷く)。小学校当時の通信簿には「温厚」と評せられていました。教師は、椅子を振り上げて喧嘩をしていた私を知らなかったのでしょう。
 ところで歴代の会長は異口同音に「市民のための司法」を訴えられています。私も同感です。今「司法改革」の名の下に様々な課題が私たち弁護士に投げかけられています。まさに「高く険しい山」です。私たちは、この山を見てたじろいではいけません。また、きれいな山だなと傍観してはいけません。「高く険しい山」も一歩一歩登っていけば必ず頂上に着きます。この1年間着実に登っていこうと思っています。
 ご一緒に「高く険しい山」を登っていきましょう。
(2)岡山県津山市に生まれました。津山は、もと森藩でしたが改易になり家臣の一部が赤穂藩に拾われました。その中の一人が神崎与五郎です。私の祖母は、神崎家から山本家へ嫁いできました。
もっとも、私の母は祖父母の養子ですから、祖母との間にDNAのつながりはありません。
大学は早稲田大学。フェンシング部に所属していました。講義に出席することなく、何故か6年間授業料を払い続けました。
(3)趣味は絵画制作です。物心がついたころから絵を描いていたようです。これを見た祖父は母に「絵描きにするんじゃない。あれは食えんけん」と、話していたということを最近聞きました。無事会長職を終えた後は、1年位デッサンを勉強し東京芸大を受験しようと半分本気に考えています。
 
次期副会長 竹森 裕子(40期)
(1)司法改革の進展する中、私達弁護士も大きな変革が要求されています。その重要な時期に副会長として会務に参加できる貴重な機会を得て、会員の皆様と共により良い制度を目指したいと思います。
(2)生まれも育ちも広島県です。毎日海を見て成長し、一橋大学法学部卒業後、約2年間コンピュータソフト会社に勤めましたが、コンピュータは全く苦手で只今特訓中です。会社退職後、横浜に転居。一橋大学社会学部卒業後、昭和63年に横浜弁護士会登録。
(3)推理小説を読むこと、山歩き、美術館巡り、猫。現在の一番は2年半前から飼い始めた猫でしょうか、動物を飼うのは初めてなので、未だに毎回面白い発見をしています。室内飼いなので脱走した時は焦りました。猫友達が増えつつあります。
 
藤田 敏宏(43期)
(1)次々と新制度の運用が始まり、また、これから始まろうとしている変革の時期に副会長に就任することになり緊張していますが、まずは「会員のための弁護士会」を念頭に、会員の皆様が安心して業務に取り組めるよう、一所懸命、副会長の務めを果たしたいと思っています。
(2)川崎市で生まれ育ちました。県立川崎高校から中央大学に進み、日興證券鰍経て、平成3年横浜弁護士会に登録し、寒河江晃先生の事務所に勤務し、平成10年に独立しました。
(3)猫(アメショのレオ君・ルナちゃん)、妻と温泉旅行、ゴルフ、ドライブ。ハンドルを握ると人格が変わると言われていましたが、更生しました。ゴルフはイソ弁の時に始めたのですが、真剣に練習せず、下手です。禁煙をして猫と戯れる日々を過ごし、10キロ太ったので、運動を心掛けています。
 
伊藤 信吾(44期)
(1)弁護士と弁護士会をとりまく状況は激変しておりますが、現在の状況を前向きに捉え、我々が弁護士としての気概を持って活力のある仕事が出来る環境を整えたいと思います。微力ではありますが、会長を全力で補佐して会員の皆様のために務めを果たして参ります。
(2)東京で生まれ、相模原市に育ち、桐蔭学園高校から早稲田大学へ進み、平成4年に弁護士登録。大木章八先生のもとでイソ弁をした後、平成7年に相模原法律事務所を父・伊藤平信弁護士と開設しました。現在は、パートナーの齋藤佐知子弁護士、イソ弁の鈴木芳美弁護士と楽しく仕事をしています。
(3)30代は、青年会議所(JC)活動に没頭していましたが、現在は、相模原でNPO法人さがみはら市民会議を組織し、市民活動サポートセンターを相模原市と協働運営しています。また最近、ネット通販で変なアイデアグッズを衝動買いする癖があります。
 
三嶋  健(44期)
(1)司法制度のみならず、社会のあり方、国の形が大きく変わろうとしているこの時期、理事を務めることとなり、気を引き締めています。市民の関心と期待に応え、信頼される弁護士会、平和と人権の護り手としての弁護士会の実現に寄与できればと思います。
(2)私は、東京三鷹市に生まれ、今もそこに住んでいます。桐朋高校を卒業後、早稲田大学で法律を学んだ東京生まれの東京育ちですが、1992年、多摩川を越えて、横浜弁護士会に登録しました。
(3)学生時代は、映画鑑賞、音楽観賞、登山と、あれこれ手を出していたのですが、今は、もっぱら同僚と、お酒の道に走っています。最近になって、健康のために、妻に尻をたたかれて、週末スイミングに励んでいます。水しぶきをあげて泳いでいる様は、突進する魚雷のようだとからかわれます。
 
中村 俊規(45期)
(1)弁護士会の運営は、ゴールのない駅伝のようなものだと思います。先達の努力を少しも無駄にすることなく、更により良い状況・状態に持って行って、後続のランナーに繋げること。私も、走り終えたとき、「いい走りだったよ」と言われるよう、精一杯頑張ります。
(2)京都第一赤十字病院にて出生。幼称『きこちゃん』。広島県佐伯郡五日市の港町で多感な少年時代を過ごし、その後相模原へ。桐蔭学園中・高校、京都大学を経て、平成5年に横浜弁護士会に登録しました。
(3)「お前は仕事が趣味だ」とよく言われます。以前は不本意でしたが、最近では、自分でもそうかもしれないと思うようになってきたのが少し寂しいです。でも本当に好きなのは、見知らぬ街の路地を1人彷徨うことでしょうか(人生にも迷っていますが)。

山ゆり
 大学入試センター試験の日に、玄関を出ると、今年も雪が舞っていた。この日は、雪になることがとても多い気がする。過去の受験生の恨みかと、本気で考えてしまう。年が改まる頃には、菓子売り場に、縁起をかついだ商品が並ぶようになった。受験はつらいが、これらの品名は少しおもしろい。受験は既に大きな行事になっている
試験はできる限り開かれたものであるべきだ、という考え方は正しいと思う。それは、試験の準備段階を含めての話だ。今は、格差がキーワードだとしても、試験を受ける者に同じ条件を準備出来る社会は、道義的に成熟した社会だと思う。そのような条件下で、社会が得るものは多いはずだ
大学受験の日のイメージが雪なら、私の年代の法曹にとって、試験の日のイメージは、暑い夏の日、金属バットが硬球を捕える金属音や、その応援の声と重なる。今後の新司法試験のイメージはどう変化してゆくのだろう
司法研修所の卒業試験の最終日、教養科目で「わが師」という出題があった。書くことがたくさん思い浮かんでありがたいと思ったが、書きながら、試験はもう終わりなのだという感慨もあった。適切な出題なのか、今では疑問となるかもしれない。
(滝口 秀夫)

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