横浜弁護士会新聞

2008年12月号  −2− 目次

上海市律師協会訪問記 来年3月横浜にて友好協定締結へ
国際交流委員会副委員長 橋本 吉行
 10月23日から26日にかけて上海市を訪問した。目的は当会と上海の弁護士9000名を束ねる上海市律師協会との友好協定締結に向けた詰めの協議をするためである。
 訪問団には武井共夫会長、齋藤佐知子副会長、谷口隆良国際交流委員会委員長をはじめ14名の会員と通訳として劉華横浜国大大学院生が参加した。
 初日に昨年11月当会を訪れた上海市人民検察院を表敬訪問した後、高層ビルに事務局を置く上海市律師協会の会議室でキョウ副会長ら9名の上海市の律師と友好協定の意義、目的、具体的施策等について突っ込んだ意見交換を行った。その結果、友好継続と双方会員の研鑽を旨として、会内手続を経た上で来年3月に横浜で友好協定締結式を行う方向で合意した。
 翌日は上海市松江区にある1万人が働く思考電機(上海)有限公司の工場を見学し、日系企業が直面する法律問題について現場の声を聞き、そのあと中国の多数の法曹を輩出し日本法研究センターを設置する華東政法大学を訪問し、何学長らと懇談した。
 さらに夕方には松江区長ら区政府代表らと協議会を行い、上海万博を控えた上海市の実情について説明を受けた。
 今回の訪問は横浜市と上海市の友好協定締結35周年記念式典が上海市で行われている最中であったが、当会に寄せる上海側の意気込みも実感でき、上海との将来にわたる交流の橋頭堡ができたと考えている。
 最終日の反省食事会には中国法曹界の重鎮であり、今春横浜国大を訪れた中国中央政府法律顧問の沈四宝教授の飛び入り参加というサプライズもあり、極めて有意義な上海訪問であった。

安芸公設事務便り 引継の1年を振り返って
高知弁護士会会員 津田 久敬
 昨年11月17日に安芸ひまわり基金法律事務所の所長に就任してから早1年が経過した。横浜弁護士会から公設事務所に赴任した弁護士は私を含めて4人だが、公設事務所の引継ぎを行ったのは私が初めてである。そこで引継ぎならではの話をしてみたいと思う。
 まず、仕事の面で言えば、前任者から引き継いだ事件はおよそ60件であった。一気にこれだけの事件を引き継いだらパニックになってしまうのではないかと思ったのだが、前任者の石川裕一会員が面倒見よく事件の説明及びフォローをしてくれたためにスムーズに引継ぎ業務をすることができた。
 このようなフォローは引継ぎが前提となっている公設事務所において最も重要なことであり、自分自身の肝に銘じているところである。
 また、私は前任者の事務所をそのまま引き継ぐような形をとったが、引継ぎの場合も新規開設の場合と同様に援助金が出ることから、事務所を移転したり自分なりにアレンジすることも自由である。
 仕事に関しては、横浜であろうと司法過疎地域であろうとその苦労は同じであるが、公設事務所に赴任して1番苦労するのは私生活における人間関係ではないだろうか。今までとは全く違った環境で、しかも弁護士という肩書きつきで誰も知らない土地に飛び込むことはかなりの孤独感を味わうものである。しかし、私の場合はその点も前任者から地元の飲み仲間の引継ぎが行われたためにスムーズに地元になじむことができた。
 このように公設事務所の引継ぎの場合は、公設事務所独自の苦労が少なく、司法過疎地域での弁護士としての使命を果たせることから、私としては新規開設よりもお勧めしたいところである。
 ところで、引継ぐばかりではいけないと思い、私も人間関係を独自に開拓するべく地元の剣道教室に通って汗を流している。できるだけ多くの人へ法的サービスを提供するとともに、できるだけ多くの高知県民と剣を交わし、酒を酌み交わし、語り合うことが次の1年の目標である。

私の事件ファイル13 遅れて支払われた弁護料
会員 小林 嗣政
 昭和55年春、某警察署内A名義の手紙を受けた。Aという名前についてはどこかで聞いた程度の記憶だったが、手紙の趣旨はAの窃盗被告事件の弁護人依頼であった。手紙を読んでいくうち、A君のことをまざまざと思い出した。
 2年前知人からA君の窃盗事件の弁護の依頼を受けた。知人の話によると、A君は九州出身の20才を過ぎたばかりの若者だが、同年配の女性との交際が進み、親の同意がないまま駆け落ち同然の状態で横浜に出て働いていたが、空家での窃盗3件で起訴されたとのことであった。知人はA君の実家と遠縁の関係で、A君の面倒をみているとのことであった。
 早速A君に接見すると、未だ幼さを残した童顔の少年の様な顔立ちであり、3件の公訴事実のうち1件は、身に憶えがないと一生懸命訴えるのであった。
 当時私の事務所に司法修習生が修習中であり、否認事件は教材としても望ましいところなので、修習生と共にA君と何回も接見し、刑事記録を入念に読み、窃盗現場となっている被害者宅へも赴き、同事件について無罪の弁論をした。この刑事事件については、修習生は特段に力を入れ、私以上に熱心な調査をしてくれた。
 判決は、3件全部について有罪であった。私はA君に控訴の有無と併せ「A君、本当はどうなんだ」と尋ねたところ、「先生すいません。全部私がやったんです」とにやりと笑った。
 A君の手紙を読んでいるうち、私はまざまざと2年前の記憶を思い出したが、手紙はもらった以上放っておく訳にもいかず、某警察署へ接見に赴いた。
 A君は前回のことを詫びると共に、今回の窃盗事件は争うつもりはないが、是非弁護人を引き受けてもらいたいこと、また現在金がなく弁護料の支払いは出来ないが、刑期を終え出所したら必ず支払う、と言うのであった。
 私は前回判決の後、にやりと笑ったA君の顔を思い出し、何とも複雑な気持ちであったが、相変わらず童顔の憎めないA君を前に、これも何かの縁かなと思い、弁護人となった。
 判決は1年程度の実刑であり、判決後「お世話になりました」とのA君のあいさつを受けた後、同君のことは全く忘れていた。
 ところが1年半程して、ひょっこりA君が私の事務所に現れ、「先生、この前はお世話になりました。私は出所して働き給料をもらったので、弁護料を支払います」と言って、弁護料相当額を差し出した。私は全く思い掛けないことであったが、しばらくして胸が熱くなった。A君と幾度かの押し問答のうち、私は半額だけ有り難くいただくことにした。
 A君はもう50才近くなるだろうが、どうしているか時々なつかしく思い出している。当時A君の無罪判決を得るため、一生懸命頑張ってくれた修習生は、現在当会会員の中核として活躍されている。

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