横浜弁護士会新聞

2008年4月号  −1− 目次

 
「人の心の痛み」が分かる法曹になれ 大木孝司法研修所教官大いに語る
この1年を振り返って
 昨年3月23日の就任から1年が経過しました。この間、それまでの弁護士人生では経験できなかった多くのことを学ばせていただきました。また、小さな失敗を重ねながらも大過なく過ごせて参りましたのは、会員の皆様のご支援のお陰だと思っております。
 この1年は、とにかく研修所生活に慣れること、修習生に刑事弁護の理論的面白さ・奥深さを知ってもらうこと、他の教官と仲良くやっていくことなど、様々な課題に向かって突っ走ってきました。
 私は、昨年8月から、「和光だより」を当会のメーリング・リストに投稿してきました。内容は、和光のことを中心に、カリキュラムや講義のことなどなど雑多な話題を思いつくままに綴ったものです。
 今改めて読み返してみると、拙い文章ながら、その時々に考えたことや、二回試験をめぐる悲喜こもごもなどが「航海日誌」のような感じで綴られていて、私にとっても懐かしい気がいたします。
研修所教育について
 従前の前期に相当する部分が現在はロースクールに移譲されたので、ともすると養成機関としての研修所の役割も減少したかのように見られがちです。
 しかし、新司法試験に合格した学生の中には、必ずしも前期終了レベルに達していない者もおり、集合修習でこれまで以上に充実した教育を行う必要があります。さらに、各ロースクールで扱いが不統一な場合に、模範となる実務基準を示さねばなりません。したがって、研修所の養成機関としての役割は質的に増大したと言うべきでしょう。
 修習生は、未来の法曹界を背負って立つ法曹界の宝です。司法試験合格者数が何人に増えようが何人に減ろうが、現実に私の目の前には、私の講義を真剣に聞き、私を見つめる140個の眼があります。この真剣な眼差しに応えたい、何とか全員が一人前の法曹として巣立ってもらいたいというのが私の活動の原動力になっています。
修習生に伝えたいこと
 私が修習生に最も伝えたいのは、「人の心の痛み」がわかる法曹になってほしいということです。これは、修習生から一言を求められたりした時に必ず書く言葉です。最近、実際に体験しましたのでご紹介します。
 現行60期の私のクラスは、二回試験で7名が不合格となったのですが、今回はその努力が報われ、7名全員が見事に合格しました。しかし今度は、次に受け持った新60期の5名が不合格になってしまいました。そこで、晴れて弁護士になった「七人の侍」に対し、「後輩のために一肌脱いでくれ」、「次の試験までの過ごし方・勉強の仕方などアドバイスを」と依頼したところ、皆快く承諾してくれ、「自分達だからこそ5人の辛さがよくわかります。レポートにまとめて報告します。なお、直接話を聞きたい人もいるでしょうから、自分達のアドレスを伝えてもらって結構です」とまで言ってくれました。前後して私のクラスになったことで、このように期を越えて仲間が増えていってくれれば、教官として嬉しい限りです。
会員へのメッセージ
 前にもお話する機会がありましたが、支部所属でチョイ悪おやじの私でも教官になることができました。
 また今年度は、田上尚志会員が民事弁護教官に就任されることが決まっております。教えることが好きな若手の皆さん、是非教官候補に名乗りを挙げてください。

 
2009年5月 法廷はプレゼンの場となる
 来年5月までに始まる裁判員制度に向け、当委員会ではこれまでに刑事弁護の基本技術についての連続研修や、外部講師を招いての「話し方」講座、プレゼンテーションソフト研修会などを実施してきた。
 裁判員裁判では、短期間で集中した審理を行うものとされており、書面の利用は限定的となり、弁論や証人尋問等、口頭でのやり取りが審理の中心となると予想される。弁護人としては、新たに事実認定者として裁判に加わる裁判員、つまりこれまで法律や裁判とは余り関わりのなかった人たちに対し、短い時間で、しかも書面には頼らずに弁護側の主張を十分に理解し、共感してもらう必要がある。しかし、これまで弁護士は職業裁判官のみを相手にし、口頭主義の原則が相当程度形骸化した裁判に適応してきたため、今までどおりの法廷弁護活動では裁判員の理解も共感も得られないというおそれがある。
 裁判員裁判で弁護士が心に留めなければならないのは、「法廷はプレゼンテーションの場」ということである。「弁護士が言いたいことを言う」のではなく、「伝えたいことを裁判員に伝える」のだという意識が必要だ。そのためには、「どのようにすれば限られた時間の中で、見ること・聞くことで弁護側の主張を理解してもらえるか」ということを、常に裁判員の立場に立って考えるということが大切になる。裁判員裁判に対応した法廷弁護技術を習得する前段階として、意識や発想を変える必要がある。
 具体的な技術としては、的確な事案の把握(証拠構造の分析)の技術、口頭で簡潔にそれを伝える技術、証人尋問の技術、といったものが要求されることになる。これらは本来法廷弁護士に当然要求される技術だが、日本では刑事裁判の変革期(戦前の陪審裁判導入時、戦後の新刑事訴訟法制定時)に一時的に「ブーム」が来た以外は、基礎研究も体系的な習得の機会もほとんどなく、個々の弁護士の研鑚に任せられてきた領域でもある。
 当委員会では、これらの技術を改めて習得・確認していただく機会とするため、今年度中に(1)少人数制の短期集中研修(1回10人以内、3日間程度)(2)昨年度実施した連続研修を拡充した連続研修(全8回程度)を実施する予定である。これらの研修や裁判員裁判を経験することは、弁護士の原点に立ち戻るよい機会となるので、ぜひ積極的な参加をお願いしたい。
(刑事弁護センター運営委員会 研修部会部会長 妹尾 孝之)

山ゆり
 チャップリンが撮った「街の灯」という映画を久々に見た。映画が思春期すら迎えていない無声映画時代の美しい作品である
 主人公は盲目の花売りの娘に一目惚れしてしまった浮浪者の男。男は花売りの娘から花を買ってあげ紳士を装っていた。娘とその親が家賃を滞納していることを知った男はお金を稼ごうと奔走する。そして、妙な縁から手に入れた1000ドルを花売りの娘に家賃と目の手術代として渡し握手をするとその場を立ち去る花束
 ある日、娘は恩人とは知らずに男を哀れんで花と小銭を渡そうと手を握る。そこで、娘は恩人だということを知る
 このラストシーンでチャップリンが浮かべる表情がたまらなく好きである。愛する人に存在を知ってもらえた喜び、その瞬間に一つの恋が終わってしまう不安と絶望、娘の眼が治ったことへの満足(と、もしかしたら後悔)。人生が与える全ての喜びと絶望を煮詰めたような表情は何度見ても心を震わせる
 チャップリンは「言葉を超えて世界中に届くから」と最後まで演技が全ての無声映画にこだわっていた。携帯電話やインターネットなど情報の洪水に生きる現在。彼の表情にこそ学ぶべきことが多いように思う。
(山田 一誠)

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