横浜弁護士会新聞

2008年8月号  −3− 目次


私の事件ファイル(11) モルガン事件(下)
会員 稲木 俊介
 提起した訴訟は貸金請求訴訟で、請求金額の700万円は、当時いそ弁の給与が月3万円の時代ですから現在では数千万円といったところだと思います。
 訴訟において被告は金は受け取っていない、といって金の貸借を否定したので、原告側は、被告の詐欺の事実を主張し、700万円はその弁償金を消費貸借の目的とした準消費貸借であると主張したところ、被告代理人の弁護士は、被告の容貌を見れば、純粋な日本人で白人と東洋人の混血でないことは歴然としており、原告の主張はまことにもって荒唐無稽な主張で、確たる証拠もないのに人を犯罪者呼ばわりするとはけしからん、原告代理人紳士であるなら立証の責任を取れ、と言われてしまいました。
 確かに被告の容貌からは混血とはとても見えず、詐欺や前科の事実を立証する唯一の証拠は、息子と未亡人の証言しかなく、私としても大変心細い思いをしておりましたところ、突然天の助けが現れました。天の助けは東京地検で、東京地検の特捜部は被告を詐欺の容疑で逮捕しました。
 詐欺の手口は本件の場合と全く同じで、ピアポンド・モルガンと伊集院隆子との間に生まれた子供と称して、関東地区の運輸会社の社長から多額の金を騙し取ったというものでした。この被告逮捕のニュースは新聞の全国版で大きく報道されました。新聞報道により被告には詐欺で服役した前歴があることもわかりました。これで私は紳士として立証の責めを果たすこともできた訳で、東京地検特捜部の被告逮捕はまさに天の助けでした。
 貸金請求訴訟の判決は昭和40年6月に言い渡され、原告の全面勝訴の判決でした。被告が控訴しましたので、控訴審で和解が成立し、結局原告は700万円の内440万円を回収し、残金の請求を放棄して決着をつけました。この事件は私にとって終生忘れ得ぬ事件で、私はこの事件を「モルガン事件」と呼んでおります。
 この事件で私が一番驚いたのは、被害者の社長がモルガンお雪に会っていたことです。当時の私の認識ではモルガンお雪はとっくに亡くなっていたものと思っていましたので、モルガンお雪が生存していて、しかも日本に住んでいたとは驚きでした。
 彼女は夫と死別後帰国して京都に住んでいたそうで、息子の話では、社長は、モルガンお雪を訪ねて行き、ピアポンド・モルガンにそのような子がいたかどうか尋ねたところ、モルガンお雪はそのような子がいたようだ、と言っていたそうで、社長は死ぬ間際まで息子に「やっぱりあれは本物だ」と言っていたそうです。ただし彼女が本当にそう答えたかどうか、真偽の程はわかりません。
 それと被告代理人弁護士は被告逮捕の新聞報道がなされた直後、代理人を辞任しました。おそらく、被告の言うことを信じ、原告代理人を激しく攻撃したため、引っ込みが付かなくなって辞任したのではないかと思います。
 親父はよく、依頼者とは距離を置いて付き合えと言っておりました。確かに依頼者は本当のことを言うとは限りません。むしろ相手方の言う事の方が本当の場合があります。どちらの言うことが本当なのか、「真実は神のみぞ知る」で、そう思ったら代理人弁護士として相手方に対し高飛車な態度はとれないはずで、この事件で親父の言う意味がよくわかりました。

理事者室便り4 メタボ一直線!?
副会長 川島 俊郎
 理事者に就任して大きく変わったことといえば、趣味のテニスをする機会が激減したことである。従前は、土日のいずれかはテニスコートに足を運んで汗を流していたが、4月以降、汗を流すといえば、慣れない挨拶や常議員会での答弁で冷や汗をかくぐらいのものである。
 聞くところによると、運動して出る汗と冷や汗とでは成分が異なるそうで、運動して出る汗はサラリとして臭いもあまり無いが、冷や汗の方は濃度が濃く臭いもきつい。また、運動して汗をかけば身体の新陳代謝が促進されるが、冷や汗をかいたところで体に悪いことはあっても良いことは何も無いそうである。
 もう一つ、大きく変わったこととしては、宴会の席が極端に増えたということがある。私の場合、生来の下戸ということもあって、これまで、弁護士という職業の割には宴席は少なかったのではないか。しかし、理事者就任後はあれやこれやと宴席の日程が入り、このペースだと年間100日はゆきそうな勢いである。これだけ多いと、少しはセーブしなければカロリー過多になるのはわかっているのであるが、根が意地汚いものでついついと完食してしまい、挙げ句の果て、帰宅してお茶を一杯飲むついでに「今日も1日頑張ったご褒美」と称して口直しのデザートを頂いたりしている。
 かくして、今の生活はメタボリックへの道を一直線に突き進んでいる状態である。椅子に座ってデスクに向かうと、腹回りに窮屈さを感じる今日この頃ではあるが、ここ3か月間、体重計には(怖くて)乗っていない。

新こちら記者クラブ 小学生でもわかるように
 「小学生でもわかるように書いてくれ」
 記者として働くようになった4年前、上司によく言われたフレーズだ。「一文はできるだけ短く」「漢字でもひらがなでもよければ、できるだけひらがなを使え」。怒鳴り声でそんな注意をよく受けた。
 いまも原稿をまとめるときには少しでもわかりやすく書くにはどうしたらいいか、頭をひねる。
 それでも、現実は厳しい。やさしい言い換えが思いつかず難しい用語をそのまま使ったり、締め切り時間が迫って関係者にしかわからない表現で書いてしまったりして、後悔することもしばしば。そんな「後悔原稿」のうち、多くを占めるのが裁判の原稿だ。
 法学部出身なのに恐縮だが、裁判は本当に難しい、と思う。専門用語が多く、普段使わない言葉のオンパレード。難しい言葉が多いだけでなく、法廷で弁護士や裁判官、検察官の話すスピードはとても速い。文章を読んでも難しいのに、傍聴するだけで理解するのは至難の業だ。
 一般市民が参加する「裁判員制度」スタートまで1年を切った。法律用語は言い換えのしづらいものが少なくない。理解するには一定の知識が必要なのが実情だ。その一方で、今後は裁判に詳しくない人たちでも理解できるような仕組みが求められることになる。
 「わかりにくい」「遠い存在」といわれる司法の存在を身近に感じてもらえるように報道するのも責務だと思う。私自身、これまでの自分の裁判原稿を振り返りつつ期するところはある。
 「小学生にもわかるように」とまではいかないまでも、せめて「高校生にはわかるように」。
(朝日新聞 長野 佑介)

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