横浜弁護士会新聞

2010年1月号  −3− 目次

日弁連人権大会プレシンポ 外務省極秘電文漏洩事件を題材として
 昨年10月29日、当会会館大会議室にて、憲法問題協議会主催の、取材の自由をテーマとする講演会が、日弁連人権大会のプレシンポとして開催された。
 参加者は、会員を中心とする68名であり、会員以外にも、東京の弁護士、神奈川の若手新聞記者、将来のマスコミ志望の大学生なども参加していた。
 前半は、沖縄密約をスクープし、後に、国家公務員法違反に問われた西山太吉元毎日新聞記者、及びマスコミ論を専門とする山田健太専修大学准教授の各講演、後半は、お二人の対談を行った。
 お二人の対談の司会は、最近まで共同通信のデスクを務めていた北神英典会員が務めた。西山元記者は、現在もなお、沖縄密約の開示を求める裁判を闘っている。西山元記者の、37年経って裁判という場でジャーナリズムを実践しているんだという言葉、昨今は、既成の事実の上にたった報道をしていて、前提となる事実の是非まで切り込む姿勢に欠けている、との発言が印象に残った。山田准教授も最近のマスコミの衰退について興味深い話しをされていた。
 5時から8時まで、休憩なしの3時間にわたる講演だったが、時間の経つのを忘れさせるほど密度の濃い充実したシンポジウムであった。
 西山元記者の講演は、後日、「自由と正義」に掲載されるので、関心のある方は、そちらをご覧下さい。
(会員 石黒 康仁)

大盛況 相談電話の嵐 遺言110番
 昨年11月13日、「遺言の日110番」が、高齢者・障害者の権利に関する委員会の委員有志により行われた。この無料電話相談は、11月15日の「遺言の日」(どうやら「いいいごん」の語呂合わせらしい…)にちなみ、実施されたものである。
 当会会館3階に設けられた5台の電話は、開始前からフライング気味に鳴り出す状態で、開始後は5台の電話が空く間はほとんどなく、内職タイムを期待して会場に来た委員の期待をいい意味で裏切る結果となった。
 相談電話の嵐は、相談員の昼食タイムを挟み、午後1時頃から再び吹き荒れ、結局、この日1日で受けた相談の数は、延べ61件にも達し、大盛況のうち無事終了した。相談内容は、ほとんどが遺産分割や遺留分に関する相談であった。相談者の中には、継続相談や事件の受任を希望する相談者もあり当会の法律相談に回付するなどの手配をした。
 この110番は高齢者・障害者の権利に関する委員会がいつもお世話になっている相談機関等に弁護士会事務局力作のチラシを配布したのみで、新聞でもテレビでも事前報道がない地味な無料相談であった。それにもかかわらず、相談員が休む暇がないほどの相談数であった。やはり、分野によっては、まだまだ弁護士会による広報努力や相談体制の充実が求められているのだと痛感させられた。
(会員 内嶋 順一)

地域の司法は地域の裁判所で 第7回首都圏支部サミット
 昨年11月28日、東京弁護士会多摩支部会議室にて、東京三弁護士会多摩支部主催の第7回首都圏弁護士会支部サミットが開催された。テーマは「立川支部の本庁化をめざして」であり、150名弱が参加した。
 テーマが「支部を本庁並みに」ではなく、「本庁化」を目指していること、現実的な運動体の決起集会という様相であったことが、特徴的であった。
 支部である限り、支部の事は地裁本庁で決定されてしまうので、本庁化を実現することにより、地域の司法は地域の裁判所で決定できるようにしようというメッセージが込められていて、刺激的なテーマであった。
 多摩地域の実情を見れば、立川支部の本庁化は現実の要請でもある。
 ただ、本庁化の問題は、各支部の共通課題とはなりえないので、このような問題も今後とりあげるとすれば、他の支部とどう連携を保ってゆくかが、今後の支部サミット運動の課題となりそうである。
(会員 三嶋 健)

新こちら記者クラブ 「危険だ止まるな!」の国
 今年はサッカー・ワールドカップが南アフリカで開催される年。2008年に現地取材の機会がありました。ワールドカップ開催をめぐって一番心配されているのが、治安の悪さでしょう。それを象徴するひとつが、「夜間は赤信号でも停車しなくて良い」という政府もみとめているルールです。赤信号で止まっているところを、待ち構えていた強盗団に襲われる事件が後を絶たないからです。日本の50倍の殺人発生率をはじめ、まさに犯罪のデパート。たとえば観光客の場合は空港の入管や税関職員から窃盗団に宿泊情報が流れ、ホテルに泥棒がやってくるということもあったりで気が抜けません。
 出張の取材テーマのひとつの柱が貧困問題で、となると危ないことで悪名高いゲットー(貧民街)にも入る必要があります。ではどんな体制で取材すればいいのか。ある人に聞いたら、「武装したボディーガードが必要」といわれ、別の人には「逆に武装グループに襲われやすいからそれはやめたほうがいい」とのこと。結局スラム街に知り合いが多いという人物にコーディネートを依頼し「丸腰」で取材にはいりました。
 薬物もしくはアルコール中毒のおじさんお兄さんがうろうろする街の中でインタビューをするわけですが、頼りのコーディネーターがその場からたびたびいなくなる不真面目な人で、日本人だけ取り残された時の怖い思いは忘れられません。滞在中現地ルールに従って何度か赤信号を無視しましたが、無論、お咎めは、なしでした。
(TBS 金氏 裕之記者)

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