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会長声明・決議・意見書(2011年度)

オウム事件中川被告判決に関する会長談話

2011年11月18日更新

本日、最高裁判所第2小法廷は、坂本堤弁護士一家殺害事件や地下鉄、松本両サリン事件など計11事件で殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けた元オウム真理教幹部、中川智正被告人(49)に対し、上告棄却の判決を言い渡した。

この判決により、横浜弁護士会会員であった坂本堤弁護士と妻都子さん、長男龍彦ちゃん一家殺害事件の被告人に対する裁判は全て終結したこととなる。横浜弁護士会は、ここに改めて、坂本弁護士と都子さん、龍彦ちゃんに対し、深い哀悼の意を表する。

坂本弁護士は、1989年春から、オウム真理教に出家させられた子供たちの救出活動及びオウム真理教の反社会性を告発する活動に取り組んでいたが、その最中の同年11月4日以降、家族とともに忽然と行方不明となった。

事件後間もなくから、日本弁護士連合会、各地弁護士会、そして「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」は、この事件が、坂本弁護士の正当な弁護活動を妨害するために起こされたものであるとして、大規模な救出活動を展開した。当会も、坂本弁護士の所属会として、坂本弁護士一家救出対策本部を中心に、その救出活動に全力を挙げて取り組んできた。

坂本弁護士一家事件発生後5年4ヶ月が経過した1995年3月、世界を震撼させた地下鉄サリン事件が発生し、オウム真理教に対する大規模な強制捜査が開始された。そしてその過程で、坂本弁護士一家事件も、オウム真理教による組織的犯行であることが明らかになり、坂本弁護士(死亡当時33歳)は同年9月6日に新潟県名立町(当時)の大毛無山山中から、妻都子さん(死亡当時29歳)は同日富山県魚津市の僧ヶ岳山中から、長男龍彦ちゃん(死亡当時1歳2ケ月)は同月10日長野県大町市の湿地帯から、それぞれ遺体となって発見された一家の無事救出が果たせなかったことは、私達にとって無念という以外に言葉はなかったが、坂本弁護士一家の救出活動を通じ、弁護士活動への暴力的妨害は、その背後にある国民の基本的人権に対する攻撃であり、法治主義、司法制度ひいては民主主義への挑戦であるという共通の理解が、弁護士と市民の中に広く浸透した。

日本弁護士連合会、当会、救う会、そして遺体が発見された地元の弁護士会は、1997年9月、それぞれの現場にメモリアルを設置し、坂本弁護士に対し、「私達は、坂本弁護士がその使命を命懸けで遂行し、その志半ばで倒されたことを永く忘れることなく、その遺志を引き継ぐことを誓って、ここにメモリアルを建立する。」との言葉を捧げた。

しかし残念ながら、弁護士に対する業務妨害は根絶されることなく、昨年には、当会の前野義広弁護士、秋田弁護士会の津谷裕貴弁護士が事件関係者に殺害されるという、痛ましい、あってはならない事件がまたも発生した。

坂本弁護士一家の救出活動に全力で取り組み、その墓前で業務妨害事件根絶への取り組みを誓ったにもかかわらず、業務妨害事件によって再び当会会員を含む弁護士の命が理不尽にも奪われたことは痛恨の極みであると言う他はない。

横浜弁護士会は、坂本弁護士一家殺害事件等に関する中川智正被告人へのこのたびの最高裁判所判決を受け、弁護士に対する業務妨害を決して許さず、これを防ぐための努力を一層強めることをあらためて決意するとともに、基本的人権の擁護と社会正義の実現という弁護士に課せられた使命を今後とも遂行することを誓う。

 

2011(平成23)年11月18日
横浜弁護士会
会長 小島 周一

 
 
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